東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

スコットランド周遊

1994 年 8 月

アークハート Urquhart 城の歴史

古代

ネス湖 及び 周囲のグレート・グレン(「大いなる谷」とでも訳すか)を見渡すことの出来るこの地は、有史以前の人々にとっても立地条件の良い場所だった。少なくとも 4 千年前には、人間が住んでいたらしい。近くには紀元前 2 千年前のものと思われる埋葬の後が残されている。

その後も、この一帯には常に人々が住んでいた。近くには鉄器時代の砦の遺跡もある。

中世

時が流れて西暦 6 世紀、この辺りにはピクト系の人々が住んでいた。 6 世紀の後半、アイルランドの聖コロンバがアークハートの谷のピクト系の貴族をキリスト教に改宗させたのだそうだ。

1228 年、スコットランドで反乱が起こった。それを鎮圧したスコットランド王アレクサンダー 2 世は、義理の息子をアークハートの領主とし、この地域の抑えとした。現在のアークハートの城跡の中の最も古い部分は、この時代にまでさかのぼるといわれている。

イングランドとスコットランド

13 世紀後半、イングランド王エドワード 1 世がスコットランドに勢力を伸ばした。この城はイングランドの勢力下に入った。

1297 年、スコットランド独立派のサー・アレクサンダー・フォーブスが、アークハート城を奪還した。

1303 年、イングランド王エドワード 1 世が再び城を奪い取った。しかし、スコットランドの希望の星ロバート・ザ・ブルースが城を奪い返した。

14 世紀半ば、スコットランドの貴族の所有にあったアークハート城は、スコットランド王家に帰属することとなった。スコットランド王家は、城を修復・拡大している。




マクドナルド一族とスコットランド王家

14 世紀後半から 15 世紀にかけて、アークハート城をめぐって、スコットランド王家とマクドナルド一族との間に争奪戦が繰り返された。(当時のマクドナルド一族は、スコットランド西部の島々を中心に強大な勢力を誇っていた。ときにはスコットランド本土に攻め込み、ネス湖近辺やインヴァネスまで軍を進めたこともある。)

その後、一時は勢力の衰えたマクドナルド一族だが、16 世紀に入って再び勢力を盛り返し、 2 度にわたってアークハート城を攻囲している。

夢の跡

17 世紀に入り、城は荒れ果ててしまった。グレート・グレンの人々は、城の石材を持ち去り、家を建てる資材に使ったようだ。

17 世紀末、ジェームズ 2 世の廃位の後の争乱の際には、城に守備隊が置かれていた。しかし、その後は打ち捨てられて現在にいたる。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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