東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ロンドンの風景(イギリス)

カンタベリー (ロンドンから日帰り)

カンタベリー大聖堂はイギリス国教会の総本山

イギリス南東部(イングランド南部)ケント州の中心であるカンタベリーまでは、ロンドンのヴィクトリア駅から列車で1時間40分ほどかな。些か遠いけど、それでもロンドンから日帰りで行ける場所だよね。

カンタベリー大聖堂(イギリス)

そんなカンタベリーで必見なのが、上の画像にあるカンタベリー大聖堂かな。14世紀のチョーサーの「カンタベリー物語」はカンタベリー大聖堂への巡礼が物語の基盤になっている。日本の「東海道中膝栗毛」が伊勢神宮へお参りに行く話を軸にしているのと同じといえば、イギリスのカンタベリー大聖堂は日本の伊勢神宮に匹敵するということになるのかな。

ところで、「カンタベリー物語」においては、この街は巡礼の終点となっている。でも、中世ヨーロッパの主要な巡礼路ともなっていたフランチジェーナ街道の出発点がカンタベリーであり、街道のゴールはローマ。ここからドーバー海峡を越えてフランス、スイス、イタリアを経てローマのサン・ピエトロ大聖堂に向かう街道を多くの巡礼たちが歩いたらしい。10世紀末のカンタベリー大司教シゲリックもローマまで歩いたんだそうな。

ついでながら、このイギリスのカンタベリー大聖堂は、ポルトガルバターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)に影響を与えたんだそうな。バターリャ修道院を建立したポルトガル王ジョアン1世とイギリスが同盟を結んでいたということがその背景にあったのかもしれないね。

カンタベリー大聖堂にある大司教トマス・ベケット殺害現場

そんなカンタベリー大聖堂の中でも、特に重要な巡礼スポットが大司教トマス・ベケット殺害現場(下の画像)かもしれない。

カンタベリー大聖堂の中のトマス・ベケット殺害現場(イギリス)

かつてトマス・ベケットは、プランタジネット家のイングランド王ヘンリー2世の側近のような存在だった。しかし、その功績によって引き上げられ、カンタベリー大聖堂の大司教となったわけだ。が、イギリスで政治権力を確立しようとするヘンリー2世と、キリスト教会の立場を捨てられない大司教トマス・ベケットとはやがて対立し、結局は上の画像の場所での大司教トマス・ベケットの殺害という結末を迎えたわけだ。

百年戦争でのイギリスの英雄 黒太子エドワードの武具

もし貴方が歴史好きならば、このカンタベリー大聖堂の中にもう一つ見逃せないものがある。それが下の画像。

カンタベリー大聖堂の中にあるエドワード黒太子の武具(イギリス)

上の画像の古びた武具は、百年戦争におけるイギリスの英雄 黒太子(ブラック・プリンス)エドワードのものだったらしい。古ぼけて色あせてはいるけれども、華やかな中世のプリンスの本物の武具だね。他方で下の画像にあるのは、色鮮やかではあるけれども、黒太子エドワードの武具のレプリカ。見た目にはきれいでも模造品だよ。

カンタベリー大聖堂の中にあるエドワード黒太子の武具の複製品(イギリス)

黒太子エドワードは特にフランスに対する百年戦争で活躍したんだ。例えば、フランス王ジャン2世を捕虜にしたこともある。百年戦争の場外乱闘とも言うべきカスティーリャ王位継承戦争では、ペドロ1世を支援して戦っている。でも、その地で病を得て帰国し、結局はフランスの英雄ベルトラン・デュ・ゲクランが支援したカスティーリャ王エンリケ2世がペドロ1世を戦死させたんだけどね。

カスティーリャで病を得た黒太子エドワードは若くして亡くなり、イングランド王になることはなかった。しかし、その息子リチャード2世はイングランド王になっている。が、そのリチャード2世はテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉され、イングランド王位をも失ったりしているんだ。もちろん、そんな悲劇の主人公リチャード2世は、ストラトフォード・アポン・エイボン生まれのシェイクスピアの餌食になっている。

カンタベリーとイギリスの歴史

上に書いたことの他にも、カンタベリーにはイギリスの歴史があふれているんだ。例えば、古代ローマ帝国がブリタニア(イギリス)から撤退し、アングロ・サクソンの侵攻によってキリスト教の信仰が廃れた後、ローマ・カトリックを再びイングランドに広めた聖アウグスティヌスも西暦597年からカンタベリーで活動していた。(間もなく彼はプロヴァンス地方の街アルルサン・トロフィーム教会で正式にイングランドの司教とされた。)

ノルマンディーから上陸したイングランドの征服王ウィリアム1世は、カンタベリー大聖堂の大司教に旧知のランフランクを据えた。そのウィリアム1世の息子たちと対立したスコラ哲学の父 聖アンセルムスもカンタベリー大司教だった。カンタベリー大司教ボールドウィンは十字軍兵士を募集する為にウェールズを旅した。

アン・ブーリンと再婚したかったヘンリー8世は、カンタベリー大司教に王妃キャサリン・オブ・アラゴン(皇帝カール5世のおばさんにあたる)との結婚が無効であったことを認めさせた。 やがて名誉革命で国を追われるイギリス国王ジェームズ2世のカトリック的な政策に対してカンタベリー大主教が見直しを求めた。・・・などなど。


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