ロードス島の歴史
BC 15c
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ミノア人、続いてアカイア人が移住してきた。
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BC 11c
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ドーリア人が島を征服。
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BC 5 - 3c
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海軍力を誇るロードスが隆盛を誇った。
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BC 480
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ペルシアの圧力に屈したロードスは、ペルシア側に立ってギリシア・ペルシアの戦争に参加し、サラミスの海戦において敗れた。
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BC 478
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ロードス島がアテネを中心とするデロス同盟に参加。ギリシア側に立ってペルシアに対抗した。
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BC 408
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ロードス市建設。
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BC 3c
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ロードスが衰退を始め、やがて古代ローマ・ビザンティンの支配を受けた。
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AD 7 - 9c
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イスラム勢力により占領された。
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AD 1082
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ヴェニスの勢力下に入った。
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その後、島の支配者は十字軍、ジェノヴァ、オスマン・トルコ、ビザンティンと移りかわった。
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AD 1306
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聖ヨハネ騎士団がロードス島を攻撃。
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AD 1308
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聖ヨハネ騎士団がロードス島を完全に制圧し本拠とした。
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AD 1480
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オスマン・トルコ(メフメト 2 世)による侵攻。しかし、騎士団は島を守り抜いた。
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AD 1522
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オスマン・トルコ(スレイマン大帝)によるロードス島への侵攻。翌年1月1日に騎士団は島を離れた。(やがて、聖ヨハネ騎士団はマルタ島を本拠地にした。)
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AD 1912
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ロードスはイタリアの支配下に入った。
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やがて、島の統治権はイギリスに移った。
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AD 1948
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パリ条約により、ロードス島がギリシア領となった。
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