騎士団長宮殿の空堀ロードスに残る聖ヨハネ騎士団ゆかりの騎士団長宮殿を出て、西へと向かう。そこで目にしたのが、宮殿のすぐ外側の空堀(下の画像)だ。
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空堀の中には、あちこちに丸い砲弾らしきものが転がっている。西暦1522年のオスマン・トルコ軍のロードス島侵攻の時のものだろうか。
ロードスの城壁のアンソニー門更に歩いて、ロードスの城壁の北西部にあるアンソニー門(下の画像)を出る。しかし、オスマン・トルコの大軍による激しい砲撃を数ヶ月に渡って耐えた城壁の門にしてはちょいと弱々しく見えるよね。この古風な姿は大砲が戦場に登場する前の時代のものだよね。
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西暦1480年にオスマン・トルコ軍がロードス島に上陸した後、15世紀末から16世紀にかけて、聖ヨハネ騎士団は城壁や城門などの守りを強化している。でも、このアンソニー門はその強化の前、古い姿のままに残された城門なんだそうな。
砲撃に備えたアンボワーズ門そんなアンソニー門の外側に設けられたのが、オスマン・トルコ軍による砲撃に備えたアンボワーズ門(下の画像)だった。西暦1512年に完成した城門なんだそうな。
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上の画像を見てもわかるように、城門の左右は円柱型の塔によって守られている。言うまでもなく、オスマン・トルコ軍の大砲によって撃ち込まれる砲弾に耐える形だよね。
強化されたロードスの陸側の城壁というわけで、騎士団長宮殿からアンソニー門、そしてアンボワーズ門を経て、ロードスの陸側の城壁までやって来た。その城壁の外には広い空堀(下の画像)が設けられていた。
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上にも書いたけれども、オスマン・トルコ軍のロードス島侵攻を警戒していた聖ヨハネ騎士団は、15世紀末から16世紀初頭にかけてロードスの城壁などを強化してきた。但し、敵軍の主力による攻撃は陸側から行われるとの想定に基づき、城壁の強化は陸側に重点を置いて行われたんだそうな。その結果、マンダラキ港に近い海側の城壁については、強化工事は大規模なものにはならなかったみたい。
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