東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「イタリア北部の旅」

08. シニョーリア広場とヴェッキオ宮殿(フィレンツェ)

フィレンツェのシニョーリア広場

フィレンツェのドゥオモ博物館の展示を見た後、ドゥオモ(大聖堂)の近くのトラットリアでお昼を食べる。その店が気に入ったものだから、3年後にフィレンツェを旅した際にもその店でディナーを食べたんだ。

続いて向かったのはバルジェッロ博物館。でも、あいにく休館日だった。フィレンツェにはまだしばし滞在するから、日をあらためて行くことにしよう。(西暦2014年12月時点で調べたところでは、バルジェッロ博物館は第1、第3、第5日曜日と第2、第4月曜日が休館らしい。ちょいとややこしいね。)

気を取り直してやって来たのはシニョーリア広場。下の画像の右手に見えているのはヴェッキオ宮殿の壁なんだけど、そのヴェッキオ宮殿の前に広がっているのがシニョーリア広場だね。

フィレンツェのヴェッキオ宮殿の前にあるシニョーリア広場(イタリア)

上の画像の左手やや遠くに小さく騎馬像が見えているんだけど、あれが西暦1537年にフィレンツェ大公(後にトスカナ大公)となったメディチ家のコシモ1世の騎馬像。ジャンボローニャの西暦1594年の作品なんだそうな。

ついでながら、フィレンツェでポルセリーノ(子豚)と呼ばれるイノシシの像の鼻をなでた人も少なくないよね。そのポルセリーノを作ったピエトロ・タッカのお師匠さんが彫刻家ジャンボローニャなんだそうな。このシニョーリア広場の真ん中に立つコシモ1世騎馬像も、完成前にジャンボローニャが亡くなり、最終的に仕上げたのはピエトロ・タッカだったそうな。

ミケランジェロのダヴィデ像・・・のレプリカ

フィレンツェのシニョーリア広場に面して立っているのは、ミケランジェロのダヴィデ像(下の画像)だね。ヴェッキオ宮殿の正面入口の脇に立っているんだけど、周囲の人々と比べるとその大きさがわかるよね。

フィレンツェのヴェッキオ宮殿の前、シニョーリア広場に面して立つミケランジェロのダヴィデ像のレプリカ(イタリア)

ミケランジェロがこのダヴィデ像を完成させたのは西暦1504年のこと。ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタを完成させて4年後のことだね。でも、今のシニョーリア広場にあるダヴィデ像はレプリカなんだそうな。

西暦1873年まではここにオリジナルがあったらしい。でも、その年に同じフィレンツェにあるアカデミア美術館にオリジナルのダヴィデ像は移されてしまった。上の画像に見るレプリカがシニョーリア広場に置かれたのは西暦1910年のことなんだそうな。

ついでながら、このページに画像は無いんだけど、シニョーリア広場に面するロッジア・ディ・ランツィには、イタリアのマニエリズムの彫刻家チェッリーニの代表作とされるペルセウス像もある。せっかくシニョーリア広場を歩くならば、見逃したくない作品だよね。

シニョーリア広場を見下ろすヴェッキオ宮殿

そんなシニョーリア広場を見下ろしているのが、フィレンツェの政治の中心だったヴェッキオ宮殿(下の画像)だね。西暦1299年から西暦1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオ(ドゥオモすなわち大聖堂の設計者でもある)によって、フィレンツェ共和国の政庁として建てられたそうな。

フィレンツェのシニョーリア広場に面して立つヴェッキオ宮殿(イタリア)

ヴェッキオ宮殿の上にはアルノルフォの塔がそびえている。その高さは94メートル。220段以上もある階段を登って上まで行くこともできるらしい。その塔の中には独房があり、かつてフィレンツェの国父とも呼ばれたコジモ・デ・メディチが収監されたこともあるんだそうな。

フィレンツェ大公となったメディチ家のコシモ1世は西暦1540年にこのヴェッキオ宮殿に移り住んだ。でも、やがてアルノ川の向こう側にあるピッティ宮殿に移り住んだ。以後、この宮殿は「ヴェッキオ宮殿(古い宮殿)」と呼ばれるようになったそうな。それまでは広場と同じくシニョーリア宮殿と呼ばれていたらしい。

そんなヴェッキオ宮殿なんだけど、西暦1865年にはここがイタリア王国政府の政庁が置かれたことがある。フィレンツェが近代統一イタリア王国の首都とされた時のことだね。その後、西暦1870年にイタリア王国がローマを占領・併合し、その翌年にはローマが首都となったんだけどね。

そんな歴史あるヴェッキオ宮殿なんだけど、残念ながら内部では撮影は禁止されていた。500人大広間や百合の間など見所も色々あるんだけど、画像が無いんだな、残念ながら。

シニョーリア広場で処刑されたフィレンツェの支配者

西暦1494年、メディチ家が追放され、フィレンツェは実質的にサヴォナローラの統治下に置かれた。ドミニコ派の修道士にしてフィレンツェのサン・マルコ修道院の院長だった彼は、厳格にキリスト教の教えに従うことを市民に求めていた。西暦1497年にはシニョーリア広場に集められた本や美術品などが焼却されたんだそうな。(ちなみに、「君主論」で名高いマキャベリは、サヴォナローラの説教を聴いて、その偽善性に気づいたらしい。)

でも、それほどに厳格な統治に対しては、次第に反発も強まっていく。しかも、サヴォナローラと対立したローマ教皇アレクサンデル6世は、彼に対する破門に踏み切ったんだ。

その翌年の西暦1498年、フィレンツェの市民が暴徒化してサン・マルコ修道院になだれ込み、サヴォナローラを捕え、ヴェッキオ宮殿のアルノルフォの塔の中にある独房に放り込んだ。

フィレンツェのヴェッキオ宮殿の前にあるシニョーリア広場にあるサヴォナローラの処刑の場所(イタリア)

その翌月、サヴォナローラが処刑されたのはシニョーリア広場(彼が本や美術品を燃やした広場)だった。上の画像の下部に見える円形のプレートは、サヴォナローラが処刑された場所を示しているんだそうな。彼の遺骸は焼かれ、その灰はアルノ川に撒かれたらしいよ。

そんなアルノ川にかかるヴェッキオ橋を歩き、街角のレストランでディナーを済ませ、ホテルに戻った。(シニョーリア広場に近いウフィツィ美術館については、旅行記「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」の中のウフィツィ美術館のページを参照してね。)


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