フィレンツェのシニョーリア広場フィレンツェのドゥオモ博物館の展示を見た後、ドゥオモ(大聖堂)の近くのトラットリアでお昼を食べる。その店が気に入ったものだから、3年後にフィレンツェを旅した際にもその店でディナーを食べたんだ。続いて向かったのはバルジェッロ博物館。でも、あいにく休館日だった。フィレンツェにはまだしばし滞在するから、日をあらためて行くことにしよう。(西暦2014年12月時点で調べたところでは、バルジェッロ博物館は第1、第3、第5日曜日と第2、第4月曜日が休館らしい。ちょいとややこしいね。) 気を取り直してやって来たのはシニョーリア広場。下の画像の右手に見えているのはヴェッキオ宮殿の壁なんだけど、そのヴェッキオ宮殿の前に広がっているのがシニョーリア広場だね。
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上の画像の左手やや遠くに小さく騎馬像が見えているんだけど、あれが西暦1537年にフィレンツェ大公(後にトスカナ大公)となったメディチ家のコシモ1世の騎馬像。ジャンボローニャの西暦1594年の作品なんだそうな。
ミケランジェロのダヴィデ像・・・のレプリカフィレンツェのシニョーリア広場に面して立っているのは、ミケランジェロのダヴィデ像(下の画像)だね。ヴェッキオ宮殿の正面入口の脇に立っているんだけど、周囲の人々と比べるとその大きさがわかるよね。
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ミケランジェロがこのダヴィデ像を完成させたのは西暦1504年のこと。ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタを完成させて4年後のことだね。でも、今のシニョーリア広場にあるダヴィデ像はレプリカなんだそうな。
ついでながら、このページに画像は無いんだけど、シニョーリア広場に面するロッジア・ディ・ランツィには、イタリアのマニエリズムの彫刻家チェッリーニの代表作とされるペルセウス像もある。せっかくシニョーリア広場を歩くならば、見逃したくない作品だよね。
シニョーリア広場を見下ろすヴェッキオ宮殿そんなシニョーリア広場を見下ろしているのが、フィレンツェの政治の中心だったヴェッキオ宮殿(下の画像)だね。西暦1299年から西暦1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオ(ドゥオモすなわち大聖堂の設計者でもある)によって、フィレンツェ共和国の政庁として建てられたそうな。
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ヴェッキオ宮殿の上にはアルノルフォの塔がそびえている。その高さは94メートル。220段以上もある階段を登って上まで行くこともできるらしい。その塔の中には独房があり、かつてフィレンツェの国父とも呼ばれたコジモ・デ・メディチが収監されたこともあるんだそうな。
シニョーリア広場で処刑されたフィレンツェの支配者西暦1494年、メディチ家が追放され、フィレンツェは実質的にサヴォナローラの統治下に置かれた。ドミニコ派の修道士にしてフィレンツェのサン・マルコ修道院の院長だった彼は、厳格にキリスト教の教えに従うことを市民に求めていた。西暦1497年にはシニョーリア広場に集められた本や美術品などが焼却されたんだそうな。(ちなみに、「君主論」で名高いマキャベリは、サヴォナローラの説教を聴いて、その偽善性に気づいたらしい。)
でも、それほどに厳格な統治に対しては、次第に反発も強まっていく。しかも、サヴォナローラと対立したローマ教皇アレクサンデル6世は、彼に対する破門に踏み切ったんだ。
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その翌月、サヴォナローラが処刑されたのはシニョーリア広場(彼が本や美術品を燃やした広場)だった。上の画像の下部に見える円形のプレートは、サヴォナローラが処刑された場所を示しているんだそうな。彼の遺骸は焼かれ、その灰はアルノ川に撒かれたらしいよ。
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