東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「イタリア北部の旅」

19. ヴェルナッツァを見下ろすドーリア城(チンクエ・テッレ)

ヴェルナッツァの狭い石段

ヴェルナッツァの小さな港のそばのマルコーニ広場やサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキア教会などを見て歩いた後、街を散策していたんだけど、ふと眼に留まったのが狭い石段だった。

ヴェルナッツァの街の狭い石段を登る(チンクエテッレ、イタリア)

上の画像がその石段なんだけど、右手の民家の壁の道標には「カステッロ」とある。イタリア語はわからないけど、きっと英語のキャッスルに相当する言葉なんだろうな。この石段を登って行けば「お城」があるに違いない。そう考えて、狭い石段を登っていったんだ。

ヴェルナッツァを見下ろすドーリア城

石段を登りきったところにチケットの売り場があった。そこでチケットを買い、中に入る。そこにそびえていたのが、下の画像にあるお城の天守だった。チケットには「カステッロ・ドーリア」とあったから、ドーリア城ということなんだろうね。

ヴェルナッツァの街を見下ろすドーリア城の天守(チンクエテッレ、イタリア)

このドーリア城、狭い石段を息を切らせつつ登ってきただけのことはあって、とっても眺めが良い。ヴェルナッツァの街を見下ろすことが出来るんだ。実は前のページに載せているヴェルナッツァの街の画像は、このドーリア城で撮ったものなんだ。ヴェルナッツァに来たならば、眺めを楽しむためにもこの城に登ってくる価値があるね。

海賊を監視する為のドーリア城

このドーリア城なんだけど、15世紀に築かれたものなんだそうな。海賊の襲撃を監視し、ヴェルナッツァの街を守る為のものだったそうな。前のページに書いたけど、15世紀に街を囲む城壁が築かれたらしいけど、その頃にこの城も築かれたんだろうね。(下の画像は天守の下の様子。)

ヴェルナッツァの街を見下ろすドーリア城の天守の周囲の様子(チンクエテッレ、イタリア)

ところで、この城の名となっている「ドーリア」なんだけど、ジェノヴァを拠点としている一族の名だよね。中世から近世にかけて海の傭兵隊長を輩出した一族だった。このヴェルナッツァのドーリア城も、彼らの持ち城の一つだったのかな。あるいは、ヴェルナッツァの人々が海賊から街を守る為にドーリア家の誰かを傭兵隊長として契約し、この城に入れていたのかもしれないね。

ついでながら、海の豪族ドーリア家を代表する人物にアンドレア・ドーリアがいる。参考までに彼の略歴を下に書いておくね。

アンドレア・ドーリア

  • 1466年(あるいは1468年)、アンドレア・ドーリアが生まれた。

  • 1513年、アンドレア・ドーリアがジェノヴァ艦隊の司令官となった。

  • 1519年、アンドレア・ドーリアがピアノサの海戦でトルコ艦隊に敗れる。

  • 1528年、フランス王フランソワ1世と手を切り、そのライバルであるハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世と結んだ。同年、ジェノヴァに独裁的な支配を打ち立てた。

  • 1535年、ハプスブルク家の皇帝カール5世によるチュニス攻略にアンドレア・ドーリアが参加した。

  • 1559年、コルシカ島を征服。(この島で後のフランス皇帝ナポレオンが生まれた。)

  • 1560年、アンドレア・ドーリア死去。

ラ・スペツィアの港の夜景

ヴェルナッツァの駅から列車に乗り、ラ・スペツィアに戻る。ホテルに帰りついた時には夕方になっていた。今日は朝早くから動き始めてちょいと疲れちゃったね。というわけで、夕食はホテルのルーム・サービスで簡単に済ませちゃった。

ラ・スペツィアの港の夜景(イタリア)

結局、ラ・スペツィアの街を歩くことはなかった。資料によれば人口は10万人近く。イタリア海軍の軍港があるらしい。上の画像はホテルの部屋から眺めた港の夜景なんだけど、イタリア海軍の軍艦も停泊しているのかもしれないね。


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