東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ローマ と ポンペイ (イタリア)
1997 年 3 月

1997年3月29日(土曜日)
04. サン・ピエトロ大聖堂(ローマ)

早起きしてサン・ピエトロ大聖堂

6時半に起床。今日は朝早くから行動開始。ローマ・ヴァティカンの観光名所の代表ともいえるサン・ピエトロ大聖堂を見に行くことになっているんだ。が、窓から外を見ればドシャ降り。エライ天気だ。

しかし、朝食を終える頃には雨も上がり、やがて青空が広がってくれた。有り難い。

サン・ピエトロ大聖堂 朝も早いというのに、サン・ピエトロ大聖堂(右の画像)では多くの人々が働いていた。

大聖堂の前にはぎっしりと椅子が並べられている。イースター(復活祭)の祝日だからねえ。教皇ヨハネ・パウロ2世の説教を聴くために、大勢の人々が集まるんだそうな。

大聖堂に向かって右側には、教皇庁の建物も見える。その一角には教皇の住まいもある。下の画像で言えば、ちょうど私の頭で隠れているあたりが、教皇の住まいなんだそうな。

教皇宮殿


サン・ピエトロ大聖堂

旅行記「カンパーニャとローマ・ヴァティカン(イタリア)」の「第四部 ローマ・ヴァティカン編」では、サン・ピエトロ大聖堂についても詳しく御紹介しています。

スイス傭兵

スイス傭兵 サン・ピエトロ大聖堂の入口の横には、スイスの傭兵が警護に立っていた。

スイスの傭兵を警護に使うのも、教皇庁の中世以来の慣行である。しかし、昨今はスイスの傭兵を雇うことも難しくなり、慢性的な人手不足になっているらしい。

話は変わるが、スイスのルツェルンには「ライオン記念碑」と呼ばれるものがある。百合の模様の盾を抱いて横たわるライオンの石像。フランス革命の際にフランス王家の人々を守って命を落としたスイス傭兵達の記念碑である。教皇庁と同じく、中世フランス王家もスイスの傭兵達を頼りにしていたのだ。

サン・ピエトロ大聖堂のスイス衛兵隊

姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」の中に、サン・ピエトロ大聖堂とスイス衛兵隊のページがあります。スイス衛兵隊の歴史についての短い説明もありますよ。

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