東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「ローマとポンペイ(イタリア)」

10. ナポリに寄り道

ナポリ湾とヴェスヴィオ火山

古代ローマ帝国時代の名残りをとどめるポンペイ遺跡を歩き回った後、近くのレストランでお昼を済ませる。その後、私たちのツアー・バスが向かったのはナポリ湾の海辺。そこから眺めたヴェスヴィオ火山が下の画像だ。あの山が西暦79年に古代都市ポンペイを火山灰のタイム・カプセルに閉じ込めたんだね。

ナポリ湾から眺めたヴェスヴィオ火山(イタリア)

しかし、この時点で私の体調は最悪となっていた。旅の前から年度末決算に終われて連日ほぼ徹夜が続いていた。旅の前夜の睡眠時間も2時間ほど。やって来たイタリアは3月末だというのにとっても寒い。加えてヴェスヴィオ火山が雪を頂くという異常な寒さの中、ポンペイ遺跡を凍えながら歩き回った。手許に体温計が無いから定かではないけど、間違いなくかなりの発熱だよね。

「ナポリを見て死ね」という言葉がある。確かにちょいとだけではあるけど私はナポリを見た。が、まだ死ぬわけにはいかん。(ついでながら、数年後にもっとじっくりとナポリを歩き回った。それでもまた死ぬつもりは無いんだけどね。)

ナポリのカステル・ヌオヴォ

続いて、ちょいとだけ見ることができたのが、下の画像にあるカステル・ヌオヴォ(ヌオヴォ城)。「ヌオヴォ」とは「新しい」という意味の言葉らしい。

ナポリにあるカステル・ヌオヴォ(イタリア)

とはいえ、このカステル・ヌオヴォが築かれたのは西暦1284年のこと。その時点でノルマン人がナポリに築いた卵城があったから、それに対する新しい城ということで、カステル・ヌオヴォと呼ばれたんだそうな。

ちなみに、このカステル・ヌオヴォを築いたのは、ナポリ王カルロ1世だった。彼はシャルル・ダンジューとも呼ばれるんだけど、フランス王ルイ8世獅子王の息子でルイ9世聖王の弟なんだそうな。

その後、ナポリ王位はアラゴン王家に奪われてしまった。それを取り返そうと15世紀末にイタリアに侵入したのがフランス王シャルル8世。でも、結局は16世紀初頭にアラゴン王フェルナンド2世がナポリの支配者となっているんだ。

高台から眺めたナポリ湾

続いて私たちのツアー・バスは斜面の道を登っていく。やがてバスを降りた私たちが高台から眺めたナポリ湾が下の画像。(ヴェスヴィオ火山よりも右手に見える風景。)

高台から眺めたナポリ湾と対岸の山々(イタリア)

あの山々のふもとにイタリア民謡「帰れ、ソレントへ」で名高いソレントがあるんだろうね。そして山々の向こうにはアマルフィサレルノ、そしてパエストゥムなどなど。今回のツアーの旅では行くチャンスは無いけどね。

他にもいろいろとナポリの見所

今回の旅ではナポリはちょいとだけの滞在だった。でも、ナポリには他にもいろいろと見所があるんだ。例えば、ナポリの地下に残る古代遺跡などを見て歩く地下探検。なんせナポリの起源は紀元前5世紀に古代ギリシャ人によって建設された街ネアポリスだから、長い歴史があるんだ。

そしてナポリで必見なのは国立考古学博物館だね。アレクサンダー大王を描いたモザイク画などのポンペイ遺跡からの多くの出土品が展示されている。私たちが参加したこのツアーがナポリ国立考古学博物館に行かないというのは大きな間違いだよね。

更にナポリといえばピザの本場。今日のお昼にピザを食べさせないこのツアーの企画には大きな問題があるぞ。ナポリと言えば老舗のピッツェリア「ポルタルバ」がある。加えて、あのピッツァ・マルゲリータを考案したとされるピッツェリア「ブランディ」もある。

とはいえ、ツアー・バスは私たちを乗せて容赦なく発車。ローマへと向かう。体調を崩してしまった私は、バスの中の最も日当たりの良い座席で眠っていた。それでも寒気の為に何度も目が覚めてしまった。

ローマのホテルに到着したのは夕方の6時。すぐにホテルのカフェで熱いカフェ・オレを2杯飲む。それでも暖まらない。部屋に入り、熱い風呂につかり、買ってきたサンドイッチをかじってベッドにもぐりこんだよ。


次のページは 「11. ローマ散策」




ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2000-2015 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。