ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂の天井画西暦1508年、デッラ・ローヴェレ家出身のローマ教皇ユリウス2世が、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描くようにと命じた。当時、別の仕事を担当していたミケランジェロは躊躇したんだけど、結局は教皇の熱意に負けたミケランジェロは、その年の内に仕事を始めたんだそうな。(ちなみに、同じ年の暮れにラファエロがヴァティカンの「署名の間」で制作を始めている。) 様々な人物や物語のシーンなどが描かれているミケランジェロの天井画の一角に、右の画像にある「デルフォイの巫女」が描かれている。 様式的にはミケランジェロの初期の聖母像につながるものがある ・・・ と資料には書いてあるんだけど、なんといっても可愛いよねえ。私の大好きなラファエロの小椅子の聖母と並んでお気に入りの作品なんだ。
ミケランジェロの「アダムの創造」上の画像にある「デルフォイの巫女」やその他の預言者や巫女たちに取り囲まれているのが、天井画の中央にある旧約聖書の物語なんだ。「光と闇の分離」「日と月の創造」「海と陸の分離」に続くのが、上の画像にある「アダムの創造」。そして物語は「イヴの創造」「楽園追放」「ノアの献身」「ノアの洪水」「ノアの泥酔」と続いていく。
ミケランジェロの「最後の審判」ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画が完成したのは西暦1512年のことだった。それから24年が経過した西暦1536年に、ミケランジェロが再びシスティーナ礼拝堂にやってきた。今度はローマ教皇パウルス3世の命により、システィーナ礼拝堂の祭壇の壁に「最後の審判」を描くためだった。時にミケランジェロは既に60歳になっていた。400人近い人物が描かれたこの「最後の審判」は、中央に描かれたキリストと聖母マリアを中心に渦を作っている。左側には天上界に向かって上昇する人々、右側には地獄に向かって落ちていく人々。右側最下部に描かれているのは「カロンの舟」。この舟に乗せられた人々は、地獄の審判者ミノスのもとへと連れて行かれるらしい。 ミケランジェロは、この「最後の審判」の為に5年の歳月を費やし、完成したのは西暦1541年のことだった。 ちなみに、このシスティーナ礼拝堂では、カメラの使用は全く許されていないんだ。というわけで、このページで御紹介している画像は現地で買った資料から取り込んだもの。
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