システィーナ礼拝堂に向かうチェーザレ・ボルジアやローマ教皇アレクサンデル6世の歴史の残るボルジアの間から通常の観光ルートに戻り、向かう先はいよいよシスティーナ礼拝堂。このヴァティカン美術館・博物館(あるいはヴァティカン宮殿)の観光の中でも最大の目玉だよね。
上の画像はシスティーナ礼拝堂へと向かう階段の天井の様子なんだけど、階段の天井までもなんだか神々しく見えちゃうよね。実際のところ、過去のコンクラーヴェ(教皇選挙)の際には枢機卿たちがこの階段を上り下りしただろうし、天井の絵だって由緒あるものなのかもしれないよね。ローマで買って来た手持ちの資料には何も書いてないけど。
修復を終えたシスティーナ礼拝堂ローマ教皇シクストゥス4世の命により、このシスティーナ礼拝堂が建設されたのは15世紀の後半のこと。日本では室町時代かな。まだ戦国時代にも入っていない頃だよね。完成後のシスティーナ礼拝堂は、コンクラーヴェ(教皇選挙)の場所となったらしい。チェーザレ・ボルジアの父のローマ教皇アレクサンデル6世やフィレンツェの名家メディチ家出身のレオ10世やクレメンス7世もここで選ばれたんだろうけど、選挙に絡んで票の買収の為のお金や約束も飛び交ったかもしれないね。 他方で、この華麗なシスティーナ礼拝堂が歴史の波に翻弄されたこともあった。例えば、西暦1527年にはハプスブルク家の皇帝カール5世の神聖ローマ帝国軍がローマを劫略したことがあるんだけど、その際にはこのシスティーナ礼拝堂のタペストリーなどが略奪された。そのタペストリーの一部は後に買い戻されてローマに戻ったらしいけどね。 そんなシスティーナ礼拝堂には今までに何度も修復の手が入ったんだそうな。そして西暦1980年からも天井や壁のフレスコ画の修復が行われ、それが完了したのが西暦1999年だったそうな。その修復の結果、ルネサンス時代の色彩が蘇ったと言われている。但し、長年の煤などと共に絵画表現の微妙なニュアンスも拭い取られたという批判もあるらしい。歴史ある芸術作品の取扱は難しいね。
いよいよシスティーナ礼拝堂の中へという前置きはともかく、いよいよシスティーナ礼拝堂の中に入ろう。朝からヴァティカン美術館・博物館の中、そしてこのヴァティカン宮殿を歩いてきたけれども、そのハイライトがこの中にあるというわけだ。
この中にはミケランジェロの「最後の審判」を始めとして、ギルランダイオ、ペルジーノ、ピントリッキオ、ボッティチェッリなどの名だたる芸術家たちの作品があるんだね。
システィーナ礼拝堂の中はカメラ使用禁止但し、ローマのヴァティカンでも最大の目玉であるシスティーナ礼拝堂の中にいる ・・・ というのに、ここではカメラの使用は禁止されているんだ。フラッシュを使おうが使うまいが、カメラは使っちゃダメ。それでも執拗にカメラを使っていた人々は、警備員によって文字通りにつまみ出されていたよ。というわけで、システィーナ礼拝堂については、現地で買った資料で御案内するしかないね。
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