東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D19. キリスト伝 -2. (システィーナ礼拝堂)

コジモ・ロッセッリとピエロ・ディ・コジモの
「山上の話(山上の垂訓)とライ病者の癒し」

人々に福音を伝え、数々の奇跡を起こしたイエス・キリストは、弟子たちを人々の中へと送り込んだ。しかし、弟子たちは思うように人々を救うことが出来なかった。他方で、イエス・キリストに対して反発を強める人々も少なくはなかった。

イエス・キリストと弟子たちはガラリア湖を渡り、対岸の山の上に登った。しかし、彼を慕う大勢の人々がついてきた。人々を前にイエス・キリストは、神について、神に対する彼の愛について語ったんだ。

システィナ礼拝堂に見るコジモ・ロッセッリとピエロ・ディ・コジモの「山上の話とライ病者の癒し」(ヴァティカン美術館・博物館、ローマ、イタリア) システィナ礼拝堂に見るコジモ・ロッセッリとピエロ・ディ・コジモの「山上の話とライ病者の癒し」(ヴァティカン美術館・博物館、ローマ、イタリア)

やがて人々は空腹を覚えた。イエス・キリストは5個のパンと2匹の干魚を小さく分けた。それだけで数千人の人々の飢えを満たすことが出来たんだ。

イエス・キリストと弟子たちは再びガラリア湖を渡り、ゲネサレに上陸した。そこで待っていた病人達を、イエス・キリストは救ったんだそうな。

ちなみに、この絵を手がけたコジモ・ロッセッリは、1439年の生まれ。15世紀末に宗教画を描き、1507年に亡くなっている。この絵を手がけたもう一人の画家ピエロ・ディ・コジモは、1462年生まれ。フィレンツェに住んでいたが人間嫌いで変わり者だったらしい。1521年に亡くなっている。

ペルジーノによる「鍵を手渡すキリスト」

続いては、キリストが天国の鍵を聖ペテロに手渡す場面を描いた作品。聖ペテロが受け取った鍵は、彼の後継者たちであるローマ教皇たちが継承したんだろうな。

システィナ礼拝堂に見るペルジーノの「鍵を手渡すキリスト」(ヴァティカン美術館・博物館、ローマ、イタリア) システィナ礼拝堂に見るペルジーノの「鍵を手渡すキリスト」(ヴァティカン美術館・博物館、ローマ、イタリア)

ちなみに、上の絵を描いたペルジーノは、ピントリッキオと共に「キリストの洗礼」を描いた画家だね。

コジモ・ロッセッリによる「最後の晩餐」

そして西暦30年、イエス・キリストに最後の時がやってきた。弟子達と共に最後の晩餐を済ませ、やがてイエス・キリストは十字架にかけられて処刑されてしまうんだ。(「最後の晩餐」といえばダ・ヴィンチを思い出すけど、当時は多くの画家が描いたテーマだったみたい。)

システィナ礼拝堂に見るコジモ・ロッセッリの「最後の晩餐」(ヴァティカン美術館・博物館、ローマ、イタリア) システィナ礼拝堂に見るコジモ・ロッセッリの「最後の晩餐」(ヴァティカン美術館・博物館、ローマ、イタリア)

その後、イエス・キリストは復活し、人々に姿を見せた後で神の許へと昇っていったわけだ。次にお目にかかるのは、私たちに対する最後の審判の時ということかな。

ちなみに、このシスティーナ礼拝堂では、カメラの使用は全く許されていないんだ。というわけで、このページで御紹介している画像は現地で買った資料から取り込んだもの。


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