聖アンジェロ城砦と聖エルモ城砦西暦1565年にマルタ島に上陸したオスマン・トルコ軍は、最初の攻撃目標をシベラス半島の先端にある聖エルモ城砦と定めた。(下の画像は聖アンジェロ城砦から眺めた聖エルモ城砦の様子。)
敵の大軍による連日の猛攻にさらされた聖エルモ城砦。騎士たちや兵士たちは傷つき倒れ、城壁の修復の為の資材も不足し、食料・弾薬なども十分とはいえなかった。聖ヨハネ騎士団の本部のある聖アンジェロ城砦からは、夜の闇にまぎれて物資や援兵を小舟に乗せて聖エルモ城砦に送り続けたそうな。
聖エルモ城砦を見下ろすシベラス半島の高地ところで、下の画像は聖エルモ城砦のあるシベラス半島の高地を聖アンジェロ城砦から眺めた様子なんだ。
オスマン・トルコ軍はこの高地に多くの大砲を並べ、聖エルモ城砦に向かって激しい砲撃を加えた。聖ヨハネ騎士団の戦士たちが傷つき疲れ果て、城壁のあちこちが崩れ落ちた頃、トルコ軍は突撃を行ったそうな。そんなトルコ軍の突撃を何度もしのいだ聖エルモ城砦は、1ヶ月以上も戦い続けた末にとうとう最後の時を迎えたというわけだ。
聖アンジェロ城砦とセングレア下の画像は聖アンジェロ城砦から眺めた隣のセングレア(旧リースラ)の先端部分なんだけど、聖アンジェロ城砦とセングレアとの間には巨大な鎖が張られて敵軍の艦船の侵入を阻んだことは前のページに書いたよね。
更に、聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザ(旧ビルグ)とセングレア(旧リースラ)との間には小舟を連ねた橋が架けられ、二つの半島に分かれて戦い続ける部隊間の連絡に使われていたそうな。
スリー・シティーズの眺めそして下の画像は聖アンジェロ城砦の上から眺めたヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街の眺め。船が停泊しているのはドックヤード・クリーク。その対岸に見えるのがセングレア(旧リースラ)の街。ドックヤード・クリークの奥にはコスピークワの街がある。
要塞都市ヴァレッタには聖ヨハネ騎士団の歴代の騎士団長などが眠る聖ヨハネ大聖堂があるけれども、その完成は西暦1577年のこと。その完成まで騎士たちがミサなどを行った教会などは、このスリー・シティーズにある。そんな由緒あるスリー・シティーズの街の中を今から歩くことにしよう。
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