東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

14. 要塞都市ヴァレッタの城壁(マルタ)

ヴァレッタのバス・ターミナル

聖ヨハネ騎士団ゆかりのスリー・シティーズを朝から歩きまわって疲れ果て、コスピークワのバス停からバスに乗り込み、ヴァレッタのバス・ターミナル(下の画像)に戻ってきたのが3時半だった。(下の画像に見える黄色い車体のバスは西暦2011年に引退し、今ではマルタ島を走っているのはブルーの車体のバスなんだそうな。)

ヴァレッタのバス・ターミナルの様子(マルタ共和国)

歩き疲れてもいたし、暑さにも参っていたし、ヴァレッタに着いたらホテルに戻るつもりでいた。でも、バスの中に座っている間に元気を回復した。ホテルに戻るのはやめて、もうちょいと歩くことにしよう。

聖ヨハネ騎士団が築いた要塞都市ヴァレッタ

バス・ターミナルのすぐ近くで見ることができるのが、下の画像にある風景。要塞都市ヴァレッタの守りを固める城壁と堀だね。

聖ヨハネ騎士団が築いた要塞都市ヴァレッタの城壁と堀(マルタ共和国)

西暦1565年、オスマン・トルコの大軍が上陸し、マルタ島の攻囲が始まった。当時は要塞都市ヴァレッタは建設されておらず、シベラス半島の先端には聖エルモ城砦が守りを固め、聖ヨハネ騎士団の守りの中心は聖アンジェロ城砦などのあるスリー・シティーズに置かれていた。

4ヶ月間の激戦の末、オスマン・トルコの大軍はマルタ島から撤退し、聖ヨハネ騎士団は本拠を守りぬくことができた。でも、シベラス半島の高地に布陣した大砲の放火にさらされた聖エルモ城砦は陥落し、スリー・シティーズも何度かの危機に陥ったんだそうな。

加えて、地中海の十字路にあるマルタ島に対して、オスマン・トルコが再び大軍を送り込むことは確実だと考えられていた。故に当時の聖ヨハネ騎士団の騎士団長ジャン・ド・ヴァレッテはシベラス半島の高地をも含む一帯に要塞都市ヴァレッタの建設を始めたわけだ。街の名ヴァレッタが騎士団長にちなむものであることは言うまでもないよね。

要塞都市ヴァレッタの巨大な城壁と堀

オスマン・トルコの大軍の猛攻を耐え抜いた聖ヨハネ騎士団と騎士団長ヴァレッテの名声は、イスラム教徒との戦いを続けていたヨーロッパにおいて大いに高まった。その結果、聖ヨハネ騎士団に多くの財産が献じられ、強固な要塞都市ヴァレッタの建設が可能になったらしい。

聖ヨハネ騎士団が築いた要塞都市ヴァレッタの城壁と堀(マルタ共和国)

上の画像も要塞都市ヴァレッタの城壁と堀の様子なんだけど、城壁の下の木の根元に停まっている車(画像中央の底部にちょいと見えている)の大きさと比較すれば、城壁の高さが想像できるよね。

そんな強固な要塞都市を本拠地とした聖ヨハネ騎士団なんだけど、西暦1798年にはエジプト遠征に向かうナポレオンに対してあっさりとマルタ島を引き渡している。オスマン・トルコ軍に対する勝利から200年以上が経ち、騎士団は戦う組織ではなくなっていたと言われている。

ヴァレッタを走る日本の車

そんな要塞都市ヴァレッタを歩いている時に見かけたのが、下の画像にある車だった。日本の会社の名前が表示している。

ヴァレッタで見かけた日本の車(マルタ共和国)

といっても、この会社の人々がこのマルタ島で仕事をしているわけじゃないみたい。マルタ島に輸入された日本の中古車が、塗装し直すこともなく、そのままヴァレッタで使われているということらしい。聖ヨハネ騎士団や要塞都市とは関係のない話なんだけど ・・・ 。


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