東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
春のルーマニア
東欧(1998年5月)


1998年5月23日(土曜日)

01. ルーマニア到着

朝の7時前にロンドン市内にあるヴィクトリア駅に到着。ロンドンの南にあるガトウィック空港へ行くには、このヴィクトリア駅から出ているガトウィック・エクスプレスに乗るのが便利なんだ。

あ、そうそう。ガトウィック・エクスプレスに乗る前に、チェック・インも済ませておこう。荷物も預けちゃえば、身軽な格好で列車に乗ることが出来るから、楽だよね。

今回の旅の目的地はルーマニア(東欧)

ルーマニアと東欧の略図 今回の旅の目的地はルーマニア。右の略図を見ればわかるけど、モルドヴァ、ウクライナ、ハンガリー、旧ユーゴ、ブルガリアなどに囲まれた東欧の国だね。

イギリスのロンドンからルーマニアの首都ブカレストまでの飛行時間は、直行便で約 3時間半。ちょっとツライ禁煙時間だなあ。

「七難八苦」のルーマニア旅行...??

そのルーマニアの状況なんだけど、事前にインターネットで調べたところでは、かなり大変な旅行になりそうなんだ。前作のブルガリア旅行記では「火中の栗を拾うような旅」になりそうだと書いたけど、今度のルーマニアはもっとひどそうだ。「七難八苦」の旅になりそうだなあ。

事前のチェックで出てきた問題点を挙げるならば、「食事が不味い」「スリ・カッパライと物乞いが多い」などなど。しかし、出発前からビクついている家内を最も怯えさせたのは、近所に住むイギリス人の主婦のひとこと。「いったい何故にホリディなのに、わざわざルーマニアへ行くわけ ?? 」。

家内は今回のツアーへの参加をキャンセルしようと言い始めた。しかし、今さらキャンセルするわけにはいかんだろう。もう Mトラベルには「参加する」とコンファームしちゃったしねえ。ツアー参加者は7人しかいないというのに、Mトラベルは赤字覚悟でツアー実行を決定しちゃったもの...。

Mトラベルの切り込み隊長 O氏

しかも、更に悪い情報が入った。今回のツアーの添乗員は O氏だというんだ。いや、既に何度か一緒に旅行をしている O氏は、決して悪い人物ではないし、添乗員としては極めて有能だ。

ただね、その O氏はロンドンに拠点を置く日系旅行社 Mトラベルの切り込み隊長的な存在だと言うことが問題なんだなあ。つまり、O氏が登場するツアーというのは、Mトラベルにとって初めての企画だとか、旅先の難易度が高いとか...。今回のツアーに関しては後者だろうなあ。

飛行機に乗る前に O氏から聞いたことなんだけど、今回のルーマニア・ツアーを企画したのは当の御本人なんだって。家内は「責任を取らせてやる !!」と固い決意をしていたよ。

「七難八苦」 - その1. ブカレストの空港にて

3時間半のフライトの後、ルーマニアの首都ブカレストの空港に到着したのは、イギリス時間で午後2時。ルーマニア時間に時計を直して、夕方の4時だ。

荷物のターン・テーブルの前でスーツ・ケースが出てくるのを待っている間に、家内はトイレに向かった。...が、すぐに戻ってきた。女性用が物置と化していたらしい。しかし、家内は再び消えて行った。せっぱつまってしまったんだろうな。

しばらくして戻ってきた家内。ともかく用は済んだらしい。だが、このツアーに参加したことを後悔していると言う。その家内の言い分によれば、こういうことだ。

女性用のトイレが故障中で入れない。他の女性用トイレを探して歩いたが見つからない。やむをえず、男性用のトイレに入った。男性用トイレの個室の鍵は壊れていた。でも、四の五の言っている状況じゃない。鍵の壊れた個室に入り、ドアを頭で押さえて用を足したらしい。但し、その間にドアで頭を小突かれたのは一度ではなかったと...。

サビついた戦闘機の並ぶ空軍基地 ??

そんなわけで旅のしょっぱなから苦労が始まったが、ともかくツアーのバスに乗ってブカレストの空港を出発する。

バスの窓から見えたのは、なかばサビついた戦闘機が無造作にならべられた空軍基地 (??)。

空軍基地 ?? さび付いた戦闘機 (ブカレスト、ルーマニア)

良いことじゃないけど、国は貧しくとも軍事関係はピカピカな国が多いよね。しかし、上の画像に見るところじゃ、この国は軍事どころじゃなくなっているみたい。

軍事関係の経費を削ることが出来るのは、東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊旧ソ連が消滅して冷戦が終結した結果として喜ぶべきなんだけど、はてさて旅の行く末はどうなるんだか・・・。




カルパチアの山麓の街 クルテア・デ・アルジェシュ
(ルーマニア)

クルテア・デ・アルジェシュの通り(ルーマニア) ブカレストの空港からバスに揺られて約3時間、カルパチアの山々の南側にある谷あいの街 クルテア・デ・アルジェシュに到着した。

右の画像は私達が泊まったホテルの前の通りなんだけど、緑の多い街だね。もちろん、街の周囲にも深い緑が広がっていたよ。

この街で一番のホテルらしいけど...

私達が泊まったのは、中世ワラキアの古都クルテア・デ・アルジェシュの街で一番のホテル...なんだそうな。だけどねえ、割り振られた部屋に入ってみれば、最大限のお世辞を言ったとしても「貧弱な山小屋風」かな。

部屋にはトイレはあるけど、備えてあるトイレット・ペーパーがスゴイ。固くてゴワゴワで家内によればニオイまでするという。後で聞いたところでは、家内はロンドンから持参の紙を使っていたらしい。(そんなことは知らない私は、部屋に備え付けの紙をガマンして使っていたけど...。)

部屋には冷蔵庫も無い。かといってルーム・サービスも無い。飲み物を求めてフロントの横のバーへ行ったら、既に閉店していた...。仕方なく、部屋の水道の蛇口をひねって水を飲む。なんかヘンな味がしたぞ。(家内は持参のパック入りのジュースを飲んでいた...。)

夕食は悪くはないぞ !!

夜の8時半、おっかなビックリでホテルのレストランに向かう。ツアーの参加者7名と添乗員の O氏、それに現地ガイドのイヴァンカ嬢の9人で夕食だ。

その夕食の料理なんだけど、味は悪くない。野菜の入ったコンソメのスープに続いて出てきた野菜サラダが最高。野菜ってこんなに美味しかったっけ、というほど。たぶん、近くの畑の採れたて完熟なんだろうな。

メインの料理はチーズを乗せて焼いたジャガイモとグリルしたチキン。このチキンがいける。バスの窓から見えたけど、田舎の殆どの家では庭先でニワトリを飼っていたんだ。ブロイラーではなく、自由に運動して自然のエサをついばんで育てば、チキンも美味しくなるということかもしれないね。

飲み物はルーマニア産のピノ・グリの白ワイン。少なくともイタリアの安物のピノ・グリよりは良いね。お値段が 25,000レイだったから、日本円に換算すれば 400円か。安いなあ。

というわけで、決してゼイタクじゃないけど、なかなか美味しい料理とワインにありつけた。ま、色々とあったけど、まずまずの旅の始まりじゃないかな。

ゼンゼン !!
(キミは食えりゃエエんか !? )

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


実はとんでもないゼイタク...
(ルーマニア経済の実情)

上に「ゼイタクじゃない」と書いたんだけど、今日の夕食は実はとんでもないゼイタクだってわかっているんだ。もちろん、経済の崩壊に苦しむ地元の人々にとってね。

例えば、今夜のワインの400円という値段だって、地元の人々にとってはとんでもない値段。ガイドのイヴァンカ嬢によれば、普通の学校の先生の月給は 40-50ドルくらいなんだって。(そういえば、日本語は出来ないけど英語は堪能なイヴァンカさんは、ひょっとすると本業は学校の先生かな。)

お年寄りなどの年金生活者の収入は、月に10ドル程度。成功したサラリーマンの月給が150ドルくらい。でもね、外資系の企業に勤める人の中には、月給1万ドルなんて人もいるんだって。国全体が困窮している中で、経済的な格差は開いているんだね。

ついでながら、ルーマニア国産自動車の価格は約 3,500ドル。ブカレスト市内でベッド・ルーム二つのマンションを買えば、2万5千ドルくらいなんだそうな。

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