BC 9c
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現在のスイスには、ケルト系の人々が住んでいた。
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BC 58
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ローマを中心とするイタリア各地から集められた古代ローマ帝国の兵士たちがスイスを征服。
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AD 2c
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ローマ系の都市が発達。
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AD 259
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最初のゲルマン人の侵入。
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AD 4c
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スイスのほぼ全域がゲルマンの支配に入った。しかし、人数の少なかったブルグンド族は次第に同化していった。
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AD 6c
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アレマン族が大量に流入し、スイスのゲルマン化が進んだ。
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AD 843
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ヴェルダン条約によりスイスが分割された。
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AD 1033
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スイスは神聖ローマ帝国の支配下に入った。
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AD 13c
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スイスにおけるハプスブルグ家の支配が強化されていった。
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AD 1291
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ハプスブルグの支配強化を押し返すために、一部のカントンが同盟を結んだ。
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AD 1332
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ルツェルンがカントン同盟に参加。
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AD 1351
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チューリヒがカントン同盟に参加。
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AD 1430
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チューリヒが同盟を離脱し、スイス内部での争いが生じた。
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AD 1450
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チューリヒが同盟に復帰。
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AD 15c
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西のブルゴーニュ公国、東のハプスブルグ家が、スイスを圧迫。
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AD 1499
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ハプスブルグ家のマクシミリアン 1 世がスイスを支配下に置くことをあきらめ、非公式ながらスイスの独立を認めた。
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AD 1515
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イタリアに野心を燃やすフランスに対する戦いに加わり、イタリアのマリニャーノにおいて惨敗を喫した。
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その後、スイスは中立の方向に進み始めた。
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AD 16c
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宗教改革のあおりを受け、新旧両派の混在するスイスは内部で争いが続いた。
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AD 17c
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三十年戦争に中立を保ったスイスは、経済的に発展した。
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AD 1648
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ウェストファリア条約において、スイスの独立が公式に認められた。
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AD 1798
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ナポレオン軍がスイスに侵入し、スイス連邦が崩壊した。
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AD 1815
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ウイーン会議において、スイス連邦の復活が公式に認められた。同時にスイスの永世中立が保証された。
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但し、スイスは武装を放棄してはいない。
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AD 1847
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新旧両派の対立を背景に、内戦状態に陥った。しかし、危機は 25 日間で終息し、戦いによる死者は少数にとどまった。
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AD 1848
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新憲法成立。アメリカ合衆国の憲法にならったもの。
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AD 1986
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国連への加盟が否決された。
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