東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

スイスの夏 1995年7月


スイス 略年表

BC 9c 現在のスイスには、ケルト系の人々が住んでいた。
BC 58 ローマを中心とするイタリア各地から集められた古代ローマ帝国の兵士たちがスイスを征服。
AD 2c ローマ系の都市が発達。
AD 259 最初のゲルマン人の侵入。
AD 4c スイスのほぼ全域がゲルマンの支配に入った。しかし、人数の少なかったブルグンド族は次第に同化していった。
AD 6c アレマン族が大量に流入し、スイスのゲルマン化が進んだ。
AD 843 ヴェルダン条約によりスイスが分割された。
AD 1033 スイスは神聖ローマ帝国の支配下に入った。
AD 13c スイスにおけるハプスブルグ家の支配が強化されていった。
AD 1291 ハプスブルグの支配強化を押し返すために、一部のカントンが同盟を結んだ。
AD 1332 ルツェルンがカントン同盟に参加。
AD 1351 チューリヒがカントン同盟に参加。
AD 1430 チューリヒが同盟を離脱し、スイス内部での争いが生じた。
AD 1450 チューリヒが同盟に復帰。
AD 15c 西のブルゴーニュ公国、東のハプスブルグ家が、スイスを圧迫。
AD 1499 ハプスブルグ家のマクシミリアン 1 世がスイスを支配下に置くことをあきらめ、非公式ながらスイスの独立を認めた。
AD 1515 イタリアに野心を燃やすフランスに対する戦いに加わり、イタリアのマリニャーノにおいて惨敗を喫した。

その後、スイスは中立の方向に進み始めた。
AD 16c 宗教改革のあおりを受け、新旧両派の混在するスイスは内部で争いが続いた。
AD 17c 三十年戦争に中立を保ったスイスは、経済的に発展した。
AD 1648 ウェストファリア条約において、スイスの独立が公式に認められた。
AD 1798 ナポレオン軍がスイスに侵入し、スイス連邦が崩壊した。
AD 1815 ウイーン会議において、スイス連邦の復活が公式に認められた。同時にスイスの永世中立が保証された。

但し、スイスは武装を放棄してはいない。
AD 1847 新旧両派の対立を背景に、内戦状態に陥った。しかし、危機は 25 日間で終息し、戦いによる死者は少数にとどまった。
AD 1848 新憲法成立。アメリカ合衆国の憲法にならったもの。
AD 1986 国連への加盟が否決された。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索





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