東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)
トルコの英雄ケマル・アタテュルク 略年表
(ムスタファ・ケマル・パシャ)
- 1881年、ムスタファ・ケマル・パシャがテッサロニカで生まれた。
- 1906年、ムスタファ・ケマル・パシャは青年トルコ党の支部を設立し、政治活動を始めた。
青年トルコ党は、1891年に結成され、トルコの近代化を主張する政治組織だった。
- 1914年、トルコはドイツ側に立って第一次世界大戦に参戦した。
陸軍の軍人となっていたムスタファ・ケマル・パシャは、ダーダネルス海峡での激戦において活躍し、トルコの英雄となった。
しかし、1918年にはスルタンのメフメト6世が連合国に降伏し、極めて不利なセーヴル条約に調印した。
ケマル・アタテュルク
(ムスタファ・ケマル・パシャ)
右の画像は、トルコの切手に見るケマル・アタテュルク(ムスタファ・ケマル・パシャ)の肖像。
トルコにおいては、多くの紙幣や切手に彼の肖像が印刷されている。
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- 1922年、民族解放戦線を結成しアンカラに国民会議を創設し革命政権を樹立していたムスタファ・ケマル・パシャは、列強の支持の許にトルコに進攻していたギリシャ軍を打ち破り、セーヴル条約を破棄した。
- 1923年7月、列強とローザンヌ条約を締結した。
同年、スルタン制が廃され、メフメト6世は海外に亡命した。ムスタファ・ケマル・パシャがトルコ共和国の初代大統領に就任した。
- 1923年10月13日、ムスタファ・ケマル・パシャがアンカラへの遷都を行った。
- 1923年10月29日、トルコ共和国成立。
- 1924年、カリフ制が廃止された。
- 1925年、ムスタファ・ケマル・パシャの命により、メヴラーナ教団が解散させられた。
- 1934年、トルコ国会はムスタファ・ケマル・パシャに「アタテュルク(トルコの父)」という尊称を贈った。
- 1938年、ケマル・アタテュルク死去。57歳だった。
- 1953年、現在のアタテュルク廟にケマル・アタテュルクの遺体が移された。
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