東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「秋のベルギー」

ブリュッセルとアントワープ

4. アントワープのノートルダム(聖母マリア)大聖堂

ノートルダム大聖堂あるいは聖母(マリア)大聖堂

ベルギー第2の都市アントワープにあるノートルダム大聖堂は、資料によっては聖母マリア大聖堂あるいは単に聖母大聖堂とも書いてある。元々は9世紀頃に建てられた小さな礼拝堂だったそうな。それが12世紀には教区教会となり、ロマネスクの教会が建てられたらしい。

そして現在のノートルダム大聖堂(聖母マリア大聖堂)の建物の工事が始まったのが西暦1352年。完成したのが西暦1521年(資料によっては西暦1520年)なんだそうな。その後、西暦1559年には司教座が置かれ大聖堂となっている。

ベルギーの街アントワープにあるノートルダム(聖母)大聖堂の塔を見上げた

上の画像は、アントワープの街を睥睨するノートルダム大聖堂の鐘塔なんだけど、高さは 123メートルもあるらしい。さすがに建設に170年近くの歳月を要しただけあって、立派な建物だよね。但し、元々の計画ではこの高さの鐘塔を二つ建てることになっていた。が、予算不足の故に完成に至った鐘塔は一つだけだった。

カルヴァン派プロテスタントとオランダの分離独立

先にも書いたけれども、今のベルギー南部にはワロン語(フランス語)を話す人々が住み、ベルギー北部にはフラマン語(オランダ語)を話す人々が住んでいる。そして、かつてはオランダもベルギーもネーデルラントとして一つのまとまりのある地域だった。そのネーデルラントに16世紀に広まったのが、ジャン・カルヴァンの教えに従うプロテスタントだった。

他方でブルゴーニュ公フィリップ善良公が獲得したネーデルラントを、ブルゴーニュ公シャルル突進公を経て継承したハプスブルク家スペイン王フェリペ2世は、ネーデルラントでのプロテスタントの信仰を許さなかった。フェリペ2世は、ネーデルラントで厳しい異端審問を行い、カルヴァン派を含む多くのプロテスタントをアントワープなどで処刑したらしい。

神聖ローマ帝国皇帝カール5世の息子のスペイン王フェリペ2世はローマの教皇を頂点とするカトリックの擁護者を自認していたわけだ。但し、その当時のローマ教皇シクストゥス5世とフェリペ2世とは不仲だったというから世の中は難しいんだけどね。

ともかく、ハプスブルク家はスペイン軍をネーデルラントに送り込み、カルヴァン派を抑え込もうとした。でも、対するカルヴァン派プロテスタントがスペインに対する反抗そして戦いを激化していったんだ。対して、西暦1566年にはアントワープのカルヴァン派プロテスタントが、このノートルダム大聖堂の偶像などを破壊したらしい。

西暦1576年にはアントワープに駐屯していたスペイン軍が市民に対して略奪を行った。対して西暦1581年にはカルヴァン派プロテスタントがアントワープの支配を奪っている。そして西暦1585年にはスペイン軍がアントワープを攻略し、街は再びカトリックの手に落ちたんだそうな。

そんなこんなでネーデルラント南部(今のベルギー)ではスペイン軍が支配を続けたのに対して、北部(今のオランダ)ではカルヴァン派を中心とするユトレヒト同盟の統治下にあった。そんな状況下、スペイン軍によって攻略されたアントワープのみならず、ブリュッセルなどネーデルラント南部に住むカルヴァン派プロテスタントの多くが北部に移住していったらしい。

そして現在、言語に関する境界は今のベルギーの中央を南北に分けているんだけど、宗教に関する境界がベルギーとオランダを分離したわけだ。但し、オランダの独立が公式に認められたのは西暦1648年のウェストファリア条約においてのことだけどね。

但し、西暦1789年のフランス革命の後、ベルギーは一時ベルギー合衆国を樹立して独立したものの、間もなくフランスによって併合され、皇帝ナポレオン没落後の西暦1815年にはベルギーとオランダはネーデルラント連合王国として統合されている。今のベルギーが独立した国となったのは西暦1830年のベルギー独立革命によってのことなんだそうな。

ちなみに、今もベルギーではカトリックが多数を占めているのに対し、オランダではカルヴァン派プロテスタントが優勢なんだそうな。但し、どちらもアジアやアフリカからの移民が新たな勢力となりつつあり、イスラム教徒も増えつつあるみたいだけどね。

ノートルダム(聖母マリア)大聖堂と「フランダースの犬」のネロ少年

アントワープのノートルダム(聖母マリア)大聖堂の話だったんだけど、大きく脱線しちゃったね。話を戻して、下の画像はその大聖堂の内部の様子なんだ。白を基調とした大聖堂内部は、貴婦人を思わせるでしょ。あるいはベルギー特産のレース編みかな。

ベルギーの街アントワープにあるノートルダム(聖母)大聖堂の内部、正面にルーベンスの絵「聖母被昇天」

遠く正面には祭壇がある。その祭壇にとっても小さく見えているのは、バロック美術の画家ルーベンスの絵「聖母被昇天」なんだ。

このルーベンスの作品の中の聖母マリアに祈りを捧げた人は数え切れないほどいるんだろうね。でも、その中でも日本人に最も知られているのは、ネロ少年かもしれない。あの物語「フランダースの犬」に登場するネロ少年は、ここで聖母マリアに祈ったんだそうな。(念の為に書いておくけど、「フランダースの犬」は架空の物語なんだけどね。)

少年ネロが月明かりで見たルーベンスの名画「キリスト昇架」

全てを失い、最後の望みをかけた絵のコンクールにも落選した少年ネロがやってきたアントワープのノートルダム大聖堂。そこで聖母マリアに祈りを捧げた少年ネロが見たいと望んでいたのが、バロックの画家ルーベンスの絵「キリスト昇架」(下の画像)だった。幸いにも月明かりでルーベンスの名画を見ることができた少年ネロは、その絵の前で凍えて亡くなってしまったんだけどね。

ベルギーの街アントワープにあるノートルダム(聖母)大聖堂にあるルーベンスの絵「キリスト昇架」

そして、少年時代から数十年も隔たってしまった私も、このルーベンスの絵を見る為にアントワープに来たんだ。そうでなければ観光地ブルージュへ行っただろうけどね。そういうわけだから、せっかくのルーベンスの絵を次のページでもっと大きくお見せしなきゃね。


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「05. アントワープで見たルーベンスの絵」


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