東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「秋のベルギー」

ブリュッセルとアントワープ

5. アントワープで見たバロックの画家ルーベンスの絵

ルーベンスの絵「キリスト昇架」(「十字架にかけられるキリスト」)

前のページに書いたように、物語「フランダースの犬」の少年ネロがアントワープにあるノートルダム大聖堂(聖母マリア大聖堂)で月明かりで見たのが、バロックの画家ルーベンスの「キリスト昇架」あるいは「十字架にかけられるキリスト」(下の画像)だった。

バロックの画家ルーベンスの絵「キリスト昇架」(ベルギーの街アントワープのノートルダム大聖堂)

大聖堂に飾られている絵なのだから、少年ネロもいつでも好きな時に見ることができると思っちゃうよね。ところが、このノートルダム大聖堂で名高い画家ルーベンスの絵を見るには拝観料を払うことが必要だったんだ。全てを失っていた貧しい少年ネロには、とても工面することができない金額だった。だからこそ、彼はその絵に憧れ、いつか見ることを夢見たわけだ。

ちなみに、現在もノートルダム大聖堂でこれらのルーベンスの代表作を見るには拝観料が必要なんだけどね。もちろん、昔の少年ネロの物語とは違って、現代の私たちにはさほどの金額のものではないけどね。

バロックの画家ルーベンスによる「キリスト降架」

そして少年ネロがクリスマス・イブの夜に見たもう一つのルーベンスの絵が「キリスト降架」(下の画像)だった。

バロックの画家ルーベンスの絵「キリスト降架」(ベルギーの街アントワープのノートルダム大聖堂)

この「キリスト降架」は画家ルーベンスが西暦1614年頃に完成させたものなんだそうな。このページの冒頭に掲げた絵「キリスト昇架」は西暦1610年頃の作品とされているらしい。

ルーベンス - バロックを代表するフランドルの画家

この画家ルーベンスの両親は今のベルギーのアントワープの出身だった。但し、ルーベンスは西暦1577年にドイツで生まれたらしい。当時の彼の両親はアントワープから亡命していたんだそうな。西暦1587年には父親が亡くなり、ルーベンスと母親はアントワープに戻ってきたんだそうな。

少年の頃から絵を学んだルーベンスは、23歳になった西暦1600年にイタリアに行き、そこで貴族の宮廷で画家として仕えている。そして西暦1608年にアントワープに戻ったルーベンスは、イタリア帰りの画家ということで引く手あまたの活躍をしたらしい。

他方でまさにその頃、イタリアのバロックの画家カラヴァッジョが亡くなっている。バロックの芸術の中心がイタリアからベルギーなどに移ることを象徴するような偶然だよね。但し、イタリアのバロックのもう一人の旗手ベルニーニローマで活躍するのはその後のこと。ルーベンスはベルニーニのローマを見てはいないわけだね。

そんなバロックの画家ルーベンスの代表作となったのが、このアントワープのノートルダム大聖堂に残る「キリスト昇架」「キリスト降架」だったわけだ。ちなみに、前のページにも書いたけれども、ルーベンスがここで絵を完成させる数十年前には、カルヴァン派プロテスタントがこのノートルダム大聖堂の偶像や装飾を破壊している。ルーベンスの代表作がそんな運命に遭わなかったことが有り難いよね。

このアントワープのノートルダム大聖堂での制作を終えた画家ルーベンスは、西暦1622年にフランスの首都パリに向かった。ブルボン家初代のフランス王アンリ4世の2番目の王妃でフランス王ルイ13世の母であるマリー・ド・メディチ(メディシス)の注文を受けたんだ。

パリに到着した画家ルーベンスが制作したのは、王母マリー・ド・メディチ(メディシス)の生涯を描いた絵の連作だった。その作品はパリのルーブル美術館で見ることができる。

パリでの仕事を終えた画家ルーベンスは、西暦1625年にアントワープに戻っている。そして西暦1640年に亡くなったんだそうな。

ノートルダム大聖堂に残るルーベンスの絵「キリストの復活」

そして下の画像は、アントワープのノートルダム大聖堂に残る画家ルーベンスのもう一つの代表作「キリストの復活」なんだ。

バロックの画家ルーベンスの絵「キリストの復活」(ベルギーの街アントワープのノートルダム大聖堂)

この絵の完成が西暦1622年とされている。ということは、この絵を仕上げた後に、フランス王室の注文に応えるために、ルーベンスはパリに向かったということなんだろうね。

ルーベンスがこのアントワープのノートルダム大聖堂に絵を残して 3世紀の後、このアントワープでルーベンスの作品を熱心に眺めていた人物がいた。その後、その人物はフランスの首都パリにあるモンマルトルの丘に向かい、更にはフランス南部プロヴァンス地方の街アルルへ行き、サン・レミ・ド・プロヴァンスの病院に入院し、そしてオーヴェール・シュール・オワーズで亡くなっている。

そう、狂気の画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。日本の浮世絵を研究したことで名高いゴッホだけど、このアントワープでルーベンスを研究した時期もあったらしい。


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