東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「初秋のブルゴーニュ」 (フランス)

ディジョン、ジュヴレ・シャンベルタン、ボーヌ、ペルージュ、リヨン

17. 中世の街 ペルージュの博物館

中世の街 ペルージュの博物館で見たフランス王アンリ4世

中世の街ペルージュのレストランでランチを食べ終わったら、街の広場の一角にある博物館に入る。その中で見たのが、下の画像のフランス王アンリ4世の肖像画。反射して見難いのが残念なんだけどね。

フランス東部の中世の街ペルージュの博物館で見たフランス王アンリ4世の肖像画

フランスの宗教戦争(ユグノー戦争)の中、サン・バルテルミーの虐殺を生き残り、ブルボン家初代のフランス王アンリ4世として即位し、ユグノーとローマ・カトリックとの間の宗教対立を終息させてパリに入城した人物。そして西暦1601年にはこのペルージュの街を最終的にフランスに帰属させたのがフランス王アンリ4世だった。

中世の武具や繊維関連の職人の道具など

ペルージュの博物館で他に展示されているのは、中世の鎧などの武具や、街で盛んだった繊維関連の職人の道具などかな。古文書らしい文書などもあったけれども、フランス語で書いてあるし、私はフランス語はわからないし ・・・。

フランス東部の中世の街ペルージュの博物館で見た武具など

言っちゃ悪いけど、ヨーロッパでも日本でも古い街にはよくあるタイプの博物館 ・・・ ではあるんだけど、でもこの中世の街ペルージュの博物館は必見かも ・・・。

中世の街ペルージュは丘の上にある

博物館のある中世の家の狭い階段を登ってみた。その上は狭い屋上だった。が、そこからの眺めの広々としていること。

フランス東部の中世の街ペルージュの博物館の屋上からの眺め

そもそもペルージュはイタリアのペルージャに住んでいたガリア人が、古代ローマ帝国の圧迫を逃れ、紀元前3世紀頃にガリアに戻ってきて築いた街だった。(紀元前4世紀にはケルト系ガリア人がローマを略奪したこともあったんだけどね。)

ところが、古代ローマ帝国は紀元前122年には今のフランス南部プロヴァンス地方エクサン・プロヴァンス(エクス)の街を築き、そこからリヨンに進出した。そのリヨンに駐屯した古代ローマ帝国の兵士たちが狼煙台としたのが、この丘の上のペルージュだった。

そんな話も納得できる眺めだよね。広々とした平野の中では、このペルージュのある丘は見晴らしが良いものね。

博物館の屋上から眺めた中世の街ペルージュ

そして下の画像は同じく博物館の屋上から眺めた中世の街ペルージュの街並みなんだ。

フランス東部の中世の街ペルージュの博物館の屋上からの眺め

この屋上から眺めれば、ペルージュの街の全体像が把握できるよね。ペルージュに来たら最初に来るべき場所がこの博物館の屋上かも。


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