プロヴァンス地方の街アルルと画家フィンセント・ファン・ゴッホオランダ人の画家フィンセント・ファン・ゴッホは、ベルギーでルーベンスの絵を勉強した。他方で日本の浮世絵にも興味を持ったんだそうな。そんな画家ゴッホは西暦1886年2月にフランスの首都パリに出て、弟テオの部屋に転がり込んだ。しばらくはモンマルトルの丘やそこにあったブドウ畑の風景などを描いたりしたらしい。 そして西暦1888年2月、画家フィンセント・ファン・ゴッホがやって来たのがフランス南部プロヴァンス地方の街アルルだった。ゴッホは明るいアルルがとっても気に入ったらしい。
画家ゴッホがアルルに移り住んで翌月に描いたのが、「アルルの跳ね橋」だった。上の画像はゴッホが「アルルの跳ね橋」に描いたラングロワ橋。アルル市内からちょいと遠いから歩いては行けないけどね。ちなみに、この跳ね橋は西暦1935年に取り壊されたんだそうな。上の画像に見えるのは後に復元されたもの。
アルルで共同生活をしたゴッホとゴーギャンアルルで暮らし始めたゴッホは、パリ時代から交友のあった画家ゴーギャンをアルルに呼び寄せ、共同生活を始めた。
上の画像はゴーギャンと共同生活をしている頃のゴッホの作品「アルルのダンスホール」。この作品にはゴーギャンの影響がよく出ているんだそうな。この作品に描かれているのは、アルルのフォリー・アルレジエンヌ劇場の様子らしい。このゴッホの「アルルのダンスホール」は、パリのオルセー美術館で見ることができるんだ。
アルルの病院に入った画家フィンセント・ファン・ゴッホところが、間もなくゴッホとゴーギャンとの関係は悪化し、ゴッホは自分の左の耳の耳たぶを切り落とすという事件を起こしている。
そんなゴッホはアルルの病院(後にサン・レミの精神病院に入ることになるんだけど)に入院したんだけど、そこで描いたのが「アルルの病院の中庭」だった。その中庭の様子が上の画像。但し、ゴッホが入院したアルルの病院は今は無く、エスパス・ファン・ゴッホという文化センターになっているんだけどね。
画家ゴッホがアルルで描いた「ローヌ川の星月夜」そんな画家ゴッホが西暦1889年5月にアルルで仕上げたのが、下の画像にある「ローヌ川の星月夜」(この作品もパリのオルセー美術館で見ることができる)だった。
完成したこの作品をゴッホは弟のテオに送り、間もなく自分はサン・レミの精神病院へ入院することになるわけだ。それが画家フィンセント・ファン・ゴッホのアルルでの短い生活だった。
新たに発見されたゴッホの作品西暦1888年、アルル郊外の丘の風景をゴッホが描いたのが「モンマジュールの日暮れ」という作品なんだそうな。ところが、この作品は1世紀以上に渡って贋作とされていたらしい。そしてオランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館によって、この絵がゴッホの作品であると確認されたのは西暦2013年のことだった。隠れたゴッホの作品は他にもまだまだあるのかもしれないね。
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