東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のプロヴァンス (フランス)」

06. ドーデの風車小屋

フォンヴィエイユにあるドーデの風車小屋

アルルから次の目的地に向かう途中で立ち寄ったのが、フォンヴィエイユにある下の画像の水車小屋だった。19世紀後半の皇帝ナポレオン3世の頃のフランスで人気を集めた小説家アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」という作品で名高い場所なんだ。

フランス南部プロヴァンス地方にあるアルフォンス・ドーデの風車小屋

上の画像がそのドーデの風車小屋なんだけど、資料の中にはドーデはここで「風車小屋だより」を著したと書いてあるものもある。でも、実際のところは彼はフランスの首都パリで書いていたらしい。

フランスの小説家アルフォンス・ドーデ

ついでながら、この小説家アルフォンス・ドーデについて。彼は西暦1840年にフランス南部のニームで生まれている。学校生活はフランス第2の都市リヨンで過ごしたらしい。

その後、学校の先生になったこともあった。そして西暦1857年、パリにいた兄の部屋に同居し、詩などを書くようになった。そして西暦1866年に書いた「風車小屋だより」で売れっ子になったんだそうな。

この「風車小屋だより」は短編集だった。その中にある短編の一つが「アルルの女」だった。ビゼーの作曲によって戯曲となった作品だね。

そんなわけでアルフォンス・ドーデがパリで小説家として成功していた時、普仏戦争でフランスが敗れフランス東部アルザス地方がドイツ領とされてしまった。そんなアルザス地方を舞台に、フランス語で行われた最後の授業を描いたドーデの作品が、西暦1873年に発表された「最後の授業」(短編集「月曜物語」に収録)だった。

と言っても、このアルザス地方がフランス領となったのは、17世紀のフランス王ルイ14世太陽王の時代だった。それまでのアルザス地方は神聖ローマ帝国に属していたんだ。おそらくはアルフォンス・ドーデの時代にも、アルザス地方の人々の多くはフランス語ではなくアルザス語(ドイツ語の方言)を話していたんだろうね。

血の気の多いアルフォンス・ドーデ

話は変わるけれども、この小説家アルフォンス・ドーデはかなり血の気の多い人物だったみたい。中世はとっくの昔に終わっているにもかかわらず、剣での決闘で相手を負傷させたこともあるんだそうな。

更には、ドーデの奥さんの悪口を書いた新聞の編集者にも決闘を申し込んだことがあるらしい。そのドーデの奥さんの肖像画が下の画像なんだけど、なるほど美人だよね。こんな美人の奥さんの悪口を書かれたら怒っちゃうのも無理はないか。

ルノワールが描いた「アルフォンス・ドーデ夫人」(フランスの首都パリのオルセー美術館にて)

ちなみに、上の画像はルノワールが描いた「アルフォンス・ドーデ夫人」という作品。パリのオルセー美術館にある絵なんだ。プロヴァンスの旅行記とは全く関係ない話で申し訳ないけど。


次のページは 「07. アヴィニョンと教皇宮殿」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。