アヴィニョンの教皇宮殿アルルの街を出発し、ドーデの風車小屋に寄り道をして、やがて到着したのがアヴィニョンにある教皇宮殿だった。下の画像がその教皇宮殿の入り口なんだ。
フランス南部プロヴァンス地方の街アヴィニョンと言えば、西暦1309年から始まった教皇のアヴィニョン捕囚(バビロン捕囚)とその後の教会大分裂(シスマ)で名高いよね。そしてその期間に築かれた教皇宮殿がアヴィニョンの見どころというわけだ。
但し、教皇宮殿の中は驚くほどに簡素な印象を受ける。イタリアの首都ローマにあるヴァティカン宮殿とは大違いなんだ。そもそも教皇のアヴィニョン捕囚や教会大分裂(シスマ)が終わって教皇がローマに戻ってから、アヴィニョンの教皇宮殿からはかつての輝きが失われ始めた。
アヴィニョンの長くて波乱の歴史ところで今のアヴィニョンの街並みの殆どは、教皇のアヴィニョン捕囚以後に形成されたものなんだろうね。下の画像は教皇宮殿のテラスから眺めたアヴィニョンの街並み。教皇宮殿の内部ではカメラは使用禁止なんだけど、テラスからの撮影は大丈夫だった。
でも、アヴィニョンの街はそれ以前から続く長くて波乱の歴史を持っているんだ。フランス南部プロヴァンス地方の多くの街と共通なんだけど、アヴィニョンの街も紀元前600年頃にマルセイユに定住した古代ギリシャ人たちが築いた交易拠点の一つだった。
アヴィニョンを流れるローヌ川とサン・ベネゼ橋ところで、アヴィニョンの街はローヌ川のほとりにある。このローヌ川を下っていけばアルルの街があり、そこに住んだ画家ゴッホがアルルで描いた「ローヌ川の星月夜」なんて作品もあるわけだね。アヴィニョンの街でローヌ川に架かる橋が、下の画像にあるサン・ベネゼ橋なんだ。「アヴィニョンの橋で輪になって踊ろ」という歌で名高い橋だね。その歌の中に「坊さんも通る」という部分があるんだけど、かつて教皇庁がアヴィニョンにあった頃、このサン・ベネゼ橋を歩いて僧侶たちが教皇庁に通勤したんだそうな。
このアヴィニョンにあるサン・ベネゼ橋は西暦1185年に完成したんだそうな。ところが、その後は何度も落ちてしまい、その度に再建されてきた。ところが西暦1688年のローヌ川の洪水の際に一部が流され、そのまま再建されないままで今に至るんだそうな。
アヴィニョン市内でショッピングとレストランというわけで、アヴィニョンの教皇宮殿やサン・ベネゼ橋を見て歩いたら、街を歩いてちょいとショッピング。家内はデパートで陶器のアロマテラピーのポットを買ってきた。私はたまたま入ったワイン専門店でコート・ド・ローヌの名高いエルミタージュの赤ワインを1本買った。下の画像はアヴィニョンの街の路地の風景なんだけど、ビルの間から見えているのはノ−トルダム・デ・ドム大聖堂。古い街だけに道が狭くてちょいと歩き難いけど、でもショッピングは楽しめたね。
さてと、お昼はアヴィニョン市街にあるミシュラン一つ星のレストランで。フォアグラから始まって、白身魚のトマト・ソースなども美味かったけれども、メインの仔牛肉がピカイチだったね。そしてワインはもちろんシャトーヌフ・デュ・パープ。アヴィニョンで食事をするならば、当然ながらシャトーヌフ・デュ・パープを飲まないわけにはいかんでしょう。(でも、そのシャトーヌフ・デュ・パープについては、次のページで。)
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