東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のプロヴァンス (フランス)」

07. アヴィニョンと教皇宮殿

アヴィニョンの教皇宮殿

アルルの街を出発し、ドーデの風車小屋に寄り道をして、やがて到着したのがアヴィニョンにある教皇宮殿だった。下の画像がその教皇宮殿の入り口なんだ。

フランス南部プロヴァンス地方の街アヴィニョンに残る教皇宮殿

フランス南部プロヴァンス地方の街アヴィニョンと言えば、西暦1309年から始まった教皇のアヴィニョン捕囚(バビロン捕囚)とその後の教会大分裂(シスマ)で名高いよね。そしてその期間に築かれた教皇宮殿がアヴィニョンの見どころというわけだ。

但し、教皇宮殿の中は驚くほどに簡素な印象を受ける。イタリアの首都ローマにあるヴァティカン宮殿とは大違いなんだ。そもそも教皇のアヴィニョン捕囚や教会大分裂(シスマ)が終わって教皇がローマに戻ってから、アヴィニョンの教皇宮殿からはかつての輝きが失われ始めた。

ついでながら、その頃のアヴィニョンに興味深い人々が住んでいたらしい。それが後に「ノストラダムスの大予言」を出版する医者にして予言者ノストラダムスの父方の祖先たち。ユダヤ人だった彼らは、ノストラダムスの曽祖父・祖父の代にキリスト教に改宗している。またノストラダムスの父の代にはアヴィニョンを出てサン・レミ・ド・プロヴァンスに移ったらしい。

続いては16世紀にプロテスタントの指導者ジャン・カルヴァンの教えが広まり、フランスで宗教戦争が激化してアヴィニョンの教皇宮殿も荒れてしまった。更にはフランス革命後に教皇宮殿は兵舎として使われ、更に荒廃してしまった。そんなわけで、教皇宮殿内部には華やかさはあまり期待しない方が良いのかも ・・・。

アヴィニョンの長くて波乱の歴史

ところで今のアヴィニョンの街並みの殆どは、教皇のアヴィニョン捕囚以後に形成されたものなんだろうね。下の画像は教皇宮殿のテラスから眺めたアヴィニョンの街並み。教皇宮殿の内部ではカメラは使用禁止なんだけど、テラスからの撮影は大丈夫だった。

フランス南部プロヴァンス地方の街アヴィニョンに残る教皇宮殿の上から眺めた街並み

でも、アヴィニョンの街はそれ以前から続く長くて波乱の歴史を持っているんだ。フランス南部プロヴァンス地方の多くの街と共通なんだけど、アヴィニョンの街も紀元前600年頃にマルセイユに定住した古代ギリシャ人たちが築いた交易拠点の一つだった。

その後は古代ローマ帝国の属州ガリア・ナルボネンシスの街となった。でも、西ローマ帝国の崩壊の頃にはゴート族の侵入によって荒廃し、8世紀にはイベリア半島から侵入したイスラム教徒のサラセン人の襲撃を受け、占領されている。更に西暦737年にはサラセン人と戦ったフランク王国のカール・マルテル(シャルルマーニュことカール大帝の祖父)によってアヴィニョンの街も破壊されている。

その後、10世紀にはこのあたりのサラセン人はプロヴァンス伯ギョーム1世によって駆逐され、アヴィニョンの街はアルル王国の一部となり、やがて11世紀には神聖ローマ帝国皇帝に継承されていく。ところが13世紀に入ると異端とされたアルビ派(カタリ派)に対するアルビジョア十字軍の戦いの舞台となり、西暦1226年にはフランス王ルイ8世獅子王の攻囲によって陥落しているんだ。

そして西暦1309年に始まった教皇のアヴィニョン捕囚の際に教皇クレメンス5世がアヴィニョンを教皇庁の場所と定めたわけだ。その後、西暦1348年にはプロヴァンス女伯ジョヴァンナからローマ教皇がアヴィニョンを買い取っている。それからフランス革命後の西暦1791年にアヴィニョンがフランスに併合されるまで、この街は教皇領に属していたんだ。

アヴィニョンを流れるローヌ川とサン・ベネゼ橋

ところで、アヴィニョンの街はローヌ川のほとりにある。このローヌ川を下っていけばアルルの街があり、そこに住んだ画家ゴッホアルルで描いた「ローヌ川の星月夜」なんて作品もあるわけだね。

アヴィニョンの街でローヌ川に架かる橋が、下の画像にあるサン・ベネゼ橋なんだ。「アヴィニョンの橋で輪になって踊ろ」という歌で名高い橋だね。その歌の中に「坊さんも通る」という部分があるんだけど、かつて教皇庁がアヴィニョンにあった頃、このサン・ベネゼ橋を歩いて僧侶たちが教皇庁に通勤したんだそうな。

フランス南部プロヴァンス地方の街アヴィニョンを流れるローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋の上から眺めた教皇宮殿

このアヴィニョンにあるサン・ベネゼ橋は西暦1185年に完成したんだそうな。ところが、その後は何度も落ちてしまい、その度に再建されてきた。ところが西暦1688年のローヌ川の洪水の際に一部が流され、そのまま再建されないままで今に至るんだそうな。

というわけで、このサン・ベネゼ橋を歩いてローヌ川の対岸まで渡ることはできないんだ。でも、その方が記念撮影をするには良いかも。通勤するお坊さんもいなくて、橋の上で踊るには良いかもしれないね。

アヴィニョン市内でショッピングとレストラン

というわけで、アヴィニョンの教皇宮殿やサン・ベネゼ橋を見て歩いたら、街を歩いてちょいとショッピング。家内はデパートで陶器のアロマテラピーのポットを買ってきた。私はたまたま入ったワイン専門店でコート・ド・ローヌの名高いエルミタージュの赤ワインを1本買った。

下の画像はアヴィニョンの街の路地の風景なんだけど、ビルの間から見えているのはノ−トルダム・デ・ドム大聖堂。古い街だけに道が狭くてちょいと歩き難いけど、でもショッピングは楽しめたね。

フランス南部プロヴァンス地方の街アヴィニョンの通りから見上げたノートルダム・デ・ドム大聖堂

さてと、お昼はアヴィニョン市街にあるミシュラン一つ星のレストランで。フォアグラから始まって、白身魚のトマト・ソースなども美味かったけれども、メインの仔牛肉がピカイチだったね。そしてワインはもちろんシャトーヌフ・デュ・パープ。アヴィニョンで食事をするならば、当然ながらシャトーヌフ・デュ・パープを飲まないわけにはいかんでしょう。(でも、そのシャトーヌフ・デュ・パープについては、次のページで。)


次のページは 「08. アヴィニョン近くでワインを試飲」



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