東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ...つもりの 9 日間

パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル
(フランス) 2000年9月



20. ガイヤール城を歩く。
( + ガイヤール城の歴史 )

ガイヤール城の全体を見渡すことのできる丘を下り、城に向かって歩く。運が悪いことに今日は雨。傘も持たない私は、雨に打たれながらも城(右の画像)を歩き回る。

ガイヤール城

今日、奥サンがパリに残ったのは正解だった。雨は降る。風もある。寒い。しかも、城にはトイレも無い。こんなところに奥サンが来ていたら、エライことになったに違いないのだ。

城の中を歩き回っているときに、妙なものを踏みつけた。なんだア ?? と足許を見る。馬鹿でかいナメクジだ。背筋が寒くなった。

しかし、ここでくじけるわけにはいかない。ようやくガイヤール城までやってきたのだ。これが最初で最後のチャンスかもしれない。とにかく、心ゆくまで城を歩き続ける。




充分に城を見て回り、満足して城を下り始める。城のある山の麓にはセーヌ川が流れている。その岸にある街がレザンドリ(下の画像)だ。

レザンドリとセーヌ川

セーヌ川もレザンドリの街も、このガイヤール城の歴史と密接に絡みついている。

ガイヤール城の歴史

  • 1196初、リチャード獅子心王とフランスのフィリップ・オーギュスト王との間の和約により、ヴァーノンの街はフランス側に帰属することとなった。

    その結果、対フランス防衛線の再構築が必要となったイングランド側は、レザンドリを要塞化し始めた。セーヌ川の中洲(レザンドリの対岸にある)には城が築かれ、川の交通を支配し、またノルマンディの防衛拠点とされた。

    更に、中州を見下ろす高さ100mの山の上にも城砦(つまり、ガイヤール城)が築かれた。その城の周囲には深さ20mの壕が設けられた。

  • 1199.4.6、リチャード獅子心王死去。

  • 1203、フランス王フィリップ・オーギュストがレザンドリを攻撃。中州にあった城は焼き払われた。

  • 同年夏、ガイヤール城の攻囲が始まった。

    リチャード獅子心王の後を継いだジョン失地王は、ガイヤールに援軍を送ることも出来ず、イングランドに退いた。

  • 1204.3.6、ガイヤール城が開城した。

  • 1419、百年戦争の際にフランス軍がガイヤール城にたてこもり、イングランド軍に抵抗した。

  • 1573、大砲の発達により無力となったガイヤール城が放棄された。

余談ながら、上の画像に写っているセーヌ川。もちろん、上流にはフランスの首都パリがある。ノルマンディからセーヌ川を遡って、ヴァイキングたちがパリを襲ったこともある。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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