パリのエトワール凱旋門初めてフランスの首都パリを旅した時、まず向かったのはシャルル・ド・ゴール広場(かつてはエトワール広場)だった。そこに立つエトワール凱旋門(下の画像)を見て、シャンゼリゼ通りを歩いたわけだ。
ちなみに、パリには凱旋門はいくつもある。ルーブル美術館近くにカルーゼル凱旋門、他にもサン・ドニ門とか、ラ・デファンスに新凱旋門とか。でも、やっぱりパリで凱旋門と言えば、このシャルル・ド・ゴール広場のエトワール凱旋門だよね。
フランス皇帝ナポレオンとエトワール凱旋門このエトワール凱旋門を建てさせたのは、フランス皇帝ナポレオンだった。アウステルリッツの戦いに勝ったことを記念して、西暦1806年に建設を命じたんだそうな。
ところが、フランス皇帝ナポレオンが退位してブルボン家のルイ18世がフランス王となった時点でも、その翌年のナポレオンの百日天下の時点でも、凱旋門は完成していなかった。それどころか、ブルボン家のルイ18世、続くシャルル10世の時代には、このエトワール凱旋門の工事は中断していた。
エトワール凱旋門、その後フランスの栄光のシンボルたるべきエトワール凱旋門。でも、このエトワール凱旋門を通っていったのは、フランスあるいはヨーロッパの歴史の明るい側面だけじゃなかったね。時には暗い面も凱旋門を通っていった。例えば西暦1871年にはフランスが普仏戦争で敗れた際には、プロシア軍が凱旋門を通っている。そのプロシア王はヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世として戴冠したんだ。他方、パリ・コミューンの混乱の中でかつてフランス王の王宮だったテュイルリー宮殿(今はテュイルリー庭園のみ残る)は焼け落ちてしまった。
西暦1919年には第一次世界大戦に勝ったフランス軍がエトワール凱旋門(上の画像は凱旋門の上から眺めたエッフェル塔)をパレードしている。ついでながら、その年にはモンマルトルの丘にサクレ・クール寺院も完成している。
パリのカルーゼル凱旋門上に書いたエトワール凱旋門ほどに有名でもないんだけど、ルーブル美術館の近くにあるカルーゼル凱旋門が下の画像なんだ。この凱旋門もナポレオンの勝利を記念するために建てられたもの。西暦1808年に完成している。上に書いたエトワール凱旋門は高さが 50メートルもあるのに対して、このカルーゼル凱旋門の高さは 19メートルとちょいと小さいんだ。
このカルーゼル凱旋門の上に見える馬、かつてはイタリアのヴェネツィアのサン・マルコ寺院にあった馬の像(古代ギリシャの彫刻家リュシッポスの作品とされる)が置かれていた。ナポレオンがヴェネツィアを屈服させていたからね。でも、ナポレオンが敗れた後にヴェネツィアの馬は返してしまった。だから今のカルーゼル凱旋門の上に見える馬は、西暦1828年に新たに彫られたものなんだそうな。
もう一つ余談なんだけど、このカルーゼル凱旋門のモデルは、ローマのフォロ・ロマーノにあるセウェルスの凱旋門だったとされている。古代ローマ帝国の皇帝セプティミウス・セウェルスは、浴場で名高いカラカラ帝の父親だね。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|