東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

49. ルーブル美術館 (パリ)

ルーブル美術館はかつて城砦だった

この旅行記「パリに住んだ ・・・ つもりの9日間(フランス)」に書いた旅の中では行かなかったルーブル美術館。でも、もちろん別の機会にパリを歩いた時にはルーブル美術館に入っているんだ。パリではルーブル美術館ははずせないよね。(下の画像は、オルセー美術館のテラスから眺めたセーヌ川の北岸のルーブル美術館。)

フランスの首都パリのオルセー美術館のテラスから眺めたセーヌ川とルーブル美術館

このルーブル美術館、かつてはフランス王の宮殿だった。いや、そもそもは城砦だった。西暦1190年にここに城砦を築くことを命じたのは、フランス王フィリップ2世尊厳王(オーギュスト)イングランド王リチャード獅子心王が築いたガイヤール城を攻略し、イングランドからノルマンディー地方を奪い返したフランス王)だった。

ちなみに、このフランス王フィリップ2世が築かせた城砦の遺構は、ルーブル美術館の地下で見ることができるんだそうな。残念ながら私は見たことが無くて、次の機会には見てみようと思っているんだけどね。

フランス王の宮殿となったルーブル

時は流れて14世紀後半には、フランス王シャルル5世が城砦として築かれたルーブルを宮殿(下の画像は今のルーブル美術館)として改築させている。(その頃はフランスとイングランドが戦った百年戦争の時代なんだけど、そんな悠長なことで良かったのかね。ちなみに、シャルル5世の父のフランス王ジャン2世は捕われてロンドンで亡くなっている。)

フランスの首都パリのルーブル美術館

そして16世紀にルーブル宮殿を新たな宮殿として建て直させたのが、フランス王フランソワ1世ハプスブルク家の皇帝カール5世の宿敵)だった。ちなみに、このフランソワ1世は戦いに敗れて捕虜となったりもしたフランス王だった。でも、ルーブル美術館に偉大な貢献をした人物でもある。

すなわち、イタリアのミラノで「最後の晩餐」を完成させたレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに連れてきたんだ。しかも、その際にダ・ヴィンチは「モナリザ」を持ってきた。だからパリのルーブル美術館で「モナリザ」を見ることができるというわけだ。

でも、フランソワ1世の工事は完成に至らず、ルーブル宮殿の建て直しは息子のアンリ2世に引き継がれた。でも、その頃の王家の人々は、パリよりもロワール川のほとりのブロワ城などで過ごしていたみたい。しかも、フランス王アンリ2世の未亡人カトリーヌ・ド・メディチは、ルーブル宮殿の隣にテュイルリー宮殿(今はテュイルリー庭園のみが残る)を建てさせた。

西暦1682年にヴェルサイユ宮殿に移ったフランス王ルイ14世太陽王も、ルーブル宮殿ではなく、テュイルリー宮殿に住んでいたらしい。(テュイルリー宮殿の庭園を造ったのは、ヴェルサイユ宮殿の庭園を作ったアンドレ・ル・ノートルだった。)

美術館となったルーブル宮殿とフランス革命

そして西暦1789年、そのルイ14世が創設したアンヴァリッド 廃兵院をパリの人々が襲い、武器弾薬を奪ってフランス革命が始まった。そしてフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑された西暦1793年、ルーブル宮殿は美術館とされたんだそうな。

フランスの首都パリのルーブル美術館で見たダヴィドの「皇帝ナポレオンの戴冠式」

そんなフランス革命から生まれたのがフランス皇帝ナポレオンだった。ダヴィドが描いた「皇帝ナポレオンの戴冠式」が上の画像なんだけど、この作品もルーブル美術館で見ることができるんだ。

パリの革命とルーブル美術館

フランス皇帝ナポレオンが退位してブルボン家の王政が復活し、フランス王となったルイ18世はルーブル美術館の隣のテュイルリー宮殿を王宮とした。ところが、西暦1830年にパリで再び革命(フランス七月革命)が起き、ブルボン家のフランス王シャルル10世が亡命したんだ。

その際には、王宮となっていたテュイルリー宮殿は、武器を持った人々に占拠されている。その隣にあったルーブル美術館周辺でも戦闘があったらしい。幸いにルーブル美術館は無事だったけど。

フランスの首都パリのルーブル美術館で見たドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」(1830年七月革命)

その西暦1830年のフランス七月革命をテーマにドラクロワが描いたのが、上の画像にある「民衆を率いる自由の女神」だった。この作品もルーブル美術館で見ることができるんだ。

ちなみに、このフランス七月革命の際に民衆が勝利を得た戦いの日々を「栄光の三日間」と呼ぶ。他方で、ブルゴーニュワインの商都ボーヌにあるオスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)を中心とする毎年11月のワイン祭りのことも「栄光の三日間」と呼ばれるんだけどね。

その後、西暦1848年にはフランス二月革命が起き、またもやテュイルリー宮殿は襲われている。ルーブル美術館は無事だったけど。

更に、西暦1871年には普仏戦争でフランスがプロシアに敗れ、パリ・コミューンの争乱となり、テュイルリー宮殿は火災で焼失してしまった。でも、ルーブル美術館は無事だったんだ。

ルーブル美術館の強運の女神は ・・・

隣にあったテュイルリー美術館が燃え落ちてしまったのに比べて、ルーブル美術館(あるいは宮殿)は強運だよね。きっと女神がついているに違いない。

フランスの首都パリのルーブル美術館で見たミロのヴィーナス

その強運の女神が、ミロのヴィーナス(上の画像)なのか、サモトラケのニケなのか、あるいはダ・ヴィンチのモナリザなのかはわからないけどね。

再びルーブル美術館を訪れたならば ・・・

広大で数え切れないほどの数の展示品のあるルーブル美術館(ロンドン大英博物館ローマヴァティカン美術館・博物館もそうだけど)を歩いても、必ず見落としはあるよね。後から資料などを見て、「 ・・・ を見てこなかった」と後悔させられるわけだ。

私にとっては、それがリュシッポスによるアレクサンダー大王像なんだ。イタリアのナポリ国立考古学博物館にはアレクサンダー大王のモザイク画がある。でも、それはアレクサンダー大王の死後300年あるいは400年ほど経ってから制作されたもの。

他方、古代ギリシャ時代の彫刻家リュシッポスは大王のお抱えの彫刻家だった。つまり、大王本人と直接の面識があったわけだ。そんなリュシッポスが制作したアレクサンダー大王像は、本人の面影を映していそうだよね。それがこのルーブル美術館にあるらしい。もし再びルーブル美術館を訪れる機会があれば、是非ともリュシッポスのアレクサンダー大王像を見てみたいな。

ルーブル美術館ではスリに注意

全くの余談を一つ。西暦2013年4月18日に外務省の海外安全ホームページに掲載された注意喚起によれば、パリのルーブル美術館でスリが多発しているらしい。その要点を書いておくね。

  • アジア人旅行者の被害が多い。特に日本人が狙われているとの報道もある。
  • 犯人は若者が多い。
  • モナリザなど人気の展示物の前、つまりは混んでいる場所では特に注意が必要となる。
  • カメラで撮影をする隙を狙われる。
  • ズボンの後ろのポケットに財布などを入れない。
  • 話しかけてくる人物にも警戒すべし。


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