太陽王ルイ14世のヴェルサイユ宮殿にある鏡の間フランス王ルイ14世は太陽王とも呼ばれたけれども、フランス王権の絶頂(その対極はルイ16世かもしれないけど)というイメージがあるかな。そして、そのルイ14世太陽王が残したヴェルサイユ宮殿といえば、フランスの最も華やかな宮殿なんだろうね。その華やかなヴェルサイユ宮殿の中でも最も華やかな場所が、下の画像にある「鏡の間」なんだろうね。
でも、西暦1871年にフランスが普仏戦争でプロシアに敗れ、この鏡の間でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位している。でも第一次世界大戦の講和条約もこの鏡の間で結ばれている。そんなこんなで、この華やかなヴェルサイユ宮殿の鏡の間は、フランスあるいはヨーロッパの歴史の暗い側面をも写しているのかもしれないけどね。
パリから地下鉄RERでヴェルサイユ宮殿パリに滞在するならば、ヴェルサイユ宮殿へ行く日帰り観光バス・ツアーに乗るのが最も楽で良いかも。でも、パリからは意外に簡単にヴェルサイユへ行けちゃったりするんだ。例えば私の好きなナポレオンのお墓があるアンヴァリッド 廃兵院の地下鉄駅から RER の 路線C5(ヴェルサイユ RG シャトー) に乗れば、その終点がヴェルサイユ宮殿にも近いヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅になる。
駅から数分も歩けば、上の画像にあるヴェルサイユの華やかな門が出迎えてくれるというわけだね。例えばパリのアンヴァリッド 廃兵院からならば、30分ほどでヴェルサイユ宮殿に到着するわけだね。
ヴェルサイユ宮殿とフランス王ルイ14世太陽王フランスに帰化したイタリア生まれのアルベルト・デ・ゴンディが、西暦1575年に今のヴェルサイユ付近の土地を買い取った。ちなみに、フランス王アンリ2世の未亡人カトリーヌ・ド・メディチが王母だった頃でもあり、少なくないイタリア人もフランスに来ていたのかな。サン・バルテルミーの虐殺の直後で、フランスがプロテスタントとローマ・カトリックとの間の宗教戦争に荒れていた時代だったけど。そのゴンディは、フランス王ルイ13世(フランスの宗教戦争を終息させたブルボン家の初代フランス王アンリ4世の息子)をヴェルサイユ周辺の森での狩猟に招待したんだ。ヴェルサイユが気に入ったルイ13世は、そこに狩猟の為の館を建てさせ、やがてゴンディ家からヴェルサイユあたりの土地も買い取っている。 そのルイ13世の息子が、西暦1643年に即位したフランス王ルイ14世太陽王だった。彼がこのヴェルサイユ宮殿の本格的な造営を始めたのは、西暦1664年のこと。父であるルイ13世の狩猟の館を増築するところから始めたらしい。 太陽王ルイ14世によるヴェルサイユ宮殿の工事は4期に及び、フランス王ルイ14世太陽王の宮廷が公式にヴェルサイユ宮殿に移ったのは西暦1682年のことだった。ちなみに、引越し前の太陽王は、パリのテュイルリー宮殿(今はテュイルリー庭園のみが残る)に住んでいたらしい。
20年近い歳月をかけて完成させたヴェルサイユ宮殿は、太陽王の名にふさわしい壮大で豪華で華麗なものだった。でも、アウグスブルク同盟戦争やスペイン継承戦争など、戦争ばかりしていたルイ14世の晩年には、戦費調達の為にヴェルサイユ宮殿の貴金属の装飾品などを売ったなんて話もあるんだけどね。
ヴェルサイユ宮殿の庭園ヴェルサイユ宮殿を歩けば、鏡の間などの華やかな内部に眼を驚かせるよね。しかも、ヴェルサイユ宮殿の部屋数は2,300もあるんだそうな。宮殿の中を歩くだけで疲れ果てちゃうよね。
でも、実はヴェルサイユ宮殿の建物よりも、その庭園の造営の方が工事としては大規模だったんだそうな。セーヌ川から 10km 以上も水を引くなど、まるで古代ローマ帝国のポン・デュ・ガール水道橋を思わせるような工事もしたらしい。ちなみに、このヴェルサイユ宮殿の庭園の造営は、パリのテュイルリー宮殿の庭園と同じく、アンドレ・ル・ノートルが担当していた。
ヴェルサイユ宮殿とフランス革命、それ以後フランス王ルイ14世太陽王が完成させたヴェルサイユ宮殿。それから100年余りが経った西暦1789年、フランス革命が始まった。ヴェルサイユまで行進してきたパリの人々が、ルイ16世と王妃を宮殿からパリへと連れて行った。やがて西暦1793年にはフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは処刑されてしまった。他方で、ヴェルサイユ宮殿の家具・内装などはオークションで売られたらしい。ヴェルサイユ宮殿そのものは革命政府が管理し、倉庫として使われたこともあった。その「倉庫」の中には、教会や大貴族の屋敷から没収された芸術作品などが保管されていたんだそうな。 やがて西暦1804年にナポレオンがフランス皇帝に即位すると、このヴェルサイユ宮殿は皇帝の宮殿とされた。といっても、ナポレオン自身はここには住まず、ただ皇后マリー・ルイーズがヴェルサイユ宮殿を使ったらしい。 そして西暦1871年にフランスが普仏戦争においてプロシアに敗れ、このヴェルサイユ宮殿はプロシア軍に占拠された。そのプロシア王がヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世として戴冠したわけだ。 そんなこんなで華麗なヴェルサイユ宮殿も歴史の波にもまれたわけだ。そんなヴェルサイユ宮殿の修復工事が始まったのは19世紀末のことだった。フランス革命前の姿を取り戻すべく、ヴェルサイユ宮殿の修復が行われたんだそうな。その結果、私たちは華やかなヴェルサイユ宮殿を歩くことが出来る。
フランス革命の後日談と言っていいものか微妙なんだけど、フランス革命が勃発した時、このヴェルサイユ宮殿に意外な人物が住んでいた。それが後にイギリスの首都ロンドンに渡り、西暦1835年にマダム・タッソー蝋人形館をオープンさせたマダム・タッソーだった。彼女はここでルイ16世の妹に蝋人形作りについて教えていたんだそうな。
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