東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

春のイングランド南部の旅(イギリス)

04. カンタベリー大聖堂

カンタベリーでは車が邪魔 ・・・

中世の面影を濃厚に残すチラムの城と村を車で出発し、さほど時間もかからずにカンタベリーに到着。直径 1マイル( 1.6km)ほどの昔の城壁の中に街がある。

まずはその城壁の中に車を乗り入れるのが難しい。いったいどこに入り口があるんだか。もちろん歩行者は簡単に入ることが出来るよ。でも、車は ・・・ 一方通行で乗り入れ禁止ばかりで ・・・。ようやく城壁の中に入っても、そこからがまた大変。狭い道が続いたり、一方通行だったり ・・・。

道を歩く多くの観光客も車をにらんでいるし、 ・・・。イースターの連休に車で旅をするのはしんどいね。ようやくホテルにたどり着き、その駐車場に車を停めるまでにえらい時間がかかったこと。私たちは車をホテルの駐車場に停めたけど、カンタベリー市内にある一般の駐車場も満車だった。車で来た人は駐車に苦労したに違いないぞ。

この旅行の後も私たちはカンタベリーには何度か来たんだ。でも、以後は車ではなく、ロンドンのヴィクトリア駅から列車で来るようにしたね。カンタベリーまでは列車で 2時間足らずかな。列車の中で飲んだり食べたり景色を楽しんだりもできるのがいいよね。

但し、カンタベリーまでではなく、更に足を伸ばして、ドーバー、ライ、ブライトンなどへ行くならば、列車ではロンドンから日帰りでは無理かも。

まずはカンタベリー大聖堂

カンタベリーのクライスト・チャーチ・ゲートウェイを英国国教会の総本山カンタベリー大聖堂(イングランド、イギリス) カンタベリー市内のホテルにチェックインを済ませ、ちょいと部屋でひと休みをしたら、すぐに観光に出発。せっかくカンタベリーへ来ているんだから、まずはカンタベリー大聖堂に向かう。

ここで大聖堂を見なければ、日本で言えば伊勢に来て伊勢神宮にお参りしないようなもんだからね。

右の画像にあるクライスト・チャーチ・ゲートウェイをくぐって見上げれば、すぐ目の前にカンタベリー大聖堂がそびえているというわけだ。その前にまずはゲートウェイの前で記念撮影 ・・・ という観光客が多いんだ。もちろん、私たちも。

カンタベリー大聖堂は英国国教会の総本山

英国国教会の総本山カンタベリー大聖堂(イングランド、イギリス) クライスト・チャーチ・ゲートウェイをくぐれば見えるカンタベリー大聖堂が右の画像だ。ここがまさに英国国教会の総本山だね。

でもね、英国国教会って言われても ・・・ それがローマ・カトリックとどう違うのか、あるいは逆にプロテスタントの一派なのか ・・・ 。実は難しいよね。

というのも、英国国教会は教義が気に入らなくて、ローマ・カトリックの教皇庁と喧嘩別れしたわけじゃないから。

とどのつまりは、イングランド王ヘンリー8世アン・ブーリンと結婚するために王妃のキャサリン・オブ・アラゴンと離婚したくて、英国国教会を独立させちゃったというかね ・・・ 。(一時は王妃にリーズ城を改装して与えるほど仲良しだったけど。)

ちなみに、英国国教会が独立する前には、カンタベリーの大司教もローマ教皇の権威に従っていたんだ。例えば、西暦990年にはカンタベリー大司教シゲリックはフランチジェーナ街道を歩いてローマに赴き、そこで教皇から大司教の肩衣を授けられたなんてことも記録されている。

英国国教会の成立とイングランド王ヘンリー8世の離婚問題

時系列に即して言うならば、西暦1527年にイングランド王ヘンリー8世はローマ教皇にキャサリンとの離婚(正確には婚姻の無効)を認めるように要求した。が、原則として離婚を認めないローマ・カトリックのトップである教皇は離婚を認めなかった。

その当時のローマ教皇は、イタリアのフィレンツェの名家メディチ家出身のクレメンス7世だったんだけど、ちょうど同じ西暦1527年には神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の軍がローマを劫略し、クレメンス7世は避難するなんてこともあったんだ。しかも、そのカール5世はヘンリー8世が離婚したがっていたキャサリン・オブ・アラゴンの甥だったりする。そりゃローマ教皇クレメンス7世も離婚を認め難いよね。

対して、イングランド王ヘンリー8世はイングランドの教会はローマの教皇庁から独立であり、自分がイングランド教会のトップであるとしたわけだ。そしてカンタベリー大聖堂をイングランドの教会組織の頂点に置き、その大司教にお気に入りの人物を就任させ、その大司教に自分の離婚を認めさせちゃった。それが西暦1533年のこと。(ちなみに、その年にアン・ブーリンと再婚した。)

そんなわけだから、総本山と言ってもヘンリー8世の離婚を認めるために総本山にしただけちゃうんか ・・・ なんて思っちゃう人もいるかな。でも、いったん英国国教会が成立した後は、イングランド王エドワード6世や女王エリザベス1世などの下でプロテスタント的な改革が行われたんだそうな。そんなこんなでカンタベリー大聖堂は英国国教会の総本山なんだね。

ついでながら、西暦2013年に生まれたジョージ王子(エリザベス女王の曾孫にしてチャールズ皇太子とダイアナ妃のお孫さん)に洗礼を施したのは、このカンタベリーの大主教だった。現代に至るも英国国教会の頂点に立つのはカンタベリーの大主教なんだね。余談ながら、ジョージ王子の洗礼の為にヨルダン川の水がロンドンまで取り寄せられたとか。ちなみに、イエス・キリストが洗礼を受けたのがヨルダン川だった。

カンタベリー大聖堂の建物

そんなカンタベリー大聖堂の建物が下の画像。とっても大きくて、ちゃちなカメラじゃとても全体像は写せないよ。

英国国教会の総本山カンタベリー大聖堂(イングランド、イギリス)

このカンタベリー大聖堂の建物は、11世紀後半から12世紀にかけてはロマネスク様式で、14世紀後半から16世紀初頭まではゴシック様式で建設されたものなんだそうな。上の画像にとっても高い塔が写っているけど、あれはベル・ハリー・タワー。西暦1498年に完成したらしいよ。

ついでながら、イングランドやフランスのゴシック様式の聖堂の先駆とされているフランスの首都パリの郊外のサン・ドニ大聖堂も、当初はロマネスク様式で建てられ、途中からゴシック様式に変わったらしい。そんな先駆的なサン・ドニ大聖堂の影響を受けて、ゴシック様式のノートルダム大聖堂シャルトル大聖堂が建てられたわけだ。

他方で、このイギリスのカンタベリー大聖堂の影響を受けたゴシック様式の建物としては、ポルトガルバターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)があるらしい。そのバターリャ修道院を建立したポルトガル王ジョアン1世はイギリスと同盟関係にあったからかな。

カンタベリー大聖堂の内部

さて、いよいよカンタベリー大聖堂の中に入る。大きな大聖堂の中には、たくさんの小さな礼拝堂もある。そして無数のステンド・グラスも輝いている。

英国国教会の総本山カンタベリー大聖堂のベル・ハリー・タワーの天井(イングランド、イギリス)

そして、大聖堂の上にそびえていたベル・ハリー・タワーの真下で見上げた様子が上の画像。ベル・ハリー・タワーの天井ってことかな。


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