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東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のイングランド南部の旅(イギリス)
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カンタベリー大聖堂に見るエドワード黒太子の武具
カンタベリー大聖堂の中には、そこで殺害された殉教者にして大司教トマス・ベケットの墓もあるし、他にも著名な人物の墓がある。その中には、百年戦争におけるイングランドの英雄エドワード黒太子(ブラック・プリンス)の墓もある。
その墓の上には、優れた軍人として高い評価を受け、惜しまれつつ若死にした黒太子エドワードの武具(上の画像)も飾られているんだ。ガラス・ケースの中の色あせた武具に、600年以上もの歳月を感じさせるよね。
黒太子(ブラック・プリンス)エドワードの生涯
- 1330年、イングランド王エドワード3世の息子として生まれた。
- 1336年、初代コーンウォール公となる。
- 1343年、イングランドの皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)となる。
- 1346年、フランスとの百年戦争における代表的な戦いの一つとして有名なクレシーの戦いに指揮官として参加し、勝利を得る。
- 1356年、同じく百年戦争の代表的な戦いの一つポワティエの戦いに指揮官として参加し、フランス王ジャン2世を捕獲し、圧勝した。
- 1367年、スペインに遠征してカスティーリャ王家の争いに干渉し、ペドロ1世を復位させた。しかし、このスペインでの戦いにおいて、黒太子エドワードは健康を損ねたと言われる。また、黒太子エドワードが帰国した後、フランスのデュ・ゲクランに支援されたエンリケ2世がカスティーリャ王に即位している。
- 1376年、父王エドワード3世の死去の前年に黒太子エドワードが亡くなった。
- 1377年、黒太子の父であるイングランド王エドワード3世死去。イングランドの王位を継承したのは、当時10歳になる黒太子エドワードの息子リチャード2世だった。
- 1399年、イングランド王リチャード2世がロンドン塔に幽閉され、廃位された。
- 1400年、幽閉されていた元のイングランド王リチャード2世が、牢獄の中で亡くなった。(リチャード2世はシェイクスピアの作品の題材にもなっている。)
黒太子エドワードの武具 ・・・ のレプリカ
カンタベリー大聖堂の中には黒太子エドワードの武具のレプリカ(下の画像)も飾られている。
赤と青の地にイングランド王家のライオンとフランス王家の百合をあしらった色鮮やかで華やかな武具。でも、所詮はレプリカだから ・・・。せっかくカンタベリー大聖堂に行ったならば、間違えることなく黒太子エドワードの武具のオリジナルを見てきてね。
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ヨーロッパの歴史風景
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