カンタベリーの街の通りカンタベリー大聖堂を見終わったら、次はカンタベリーの街歩きだね。
歴史のある古い街だけに、カンタベリーの街の中の通りは狭くて曲がりくねっている。そんな細い石畳の通りを歩いている時に、ふと見上げればカンタベリー大聖堂のベル・ハリー・タワーがこちらを見下ろしていたりする。カンタベリーはイギリスのイングランド南東部にあるケント州の中心なんだけど、そのまた中心は大聖堂なんだね。
カンタベリーのウェスト・ゲートカンタベリーの街を歩き、西の端っこにやって来た。そこにあるのが、右の画像にあるウェスト・ゲート。14世紀後半に建てられたものなんだそうな。カンタベリーの街を取り囲む城壁には、かつて七つの城門があったらしい。そのうちの残っている唯一の城門なんだそうな。 かつては牢獄として使われていたこともある。でも、西暦1906年からは武具などを展示する博物館になっているらしい。 武具は見なくてもいいや。というわけでウェスト・ゲートの中には入らなかったんだけど、後から資料を読むと、ウェスト・ゲートの屋上から見るカンタベリー大聖堂の眺めが良いらしい。惜しいことをしてしまった ・・・。 カンタベリーにあるオールド・ウィーヴァーズ・ハウスはて、このオールド・ウィーヴァーズ・ハウスなんだけど、どう和訳するんだろうか。「古い織物職人の家」 ・・・ ではなんだかしまらないけど、意味はそういうことなんだよね。16世紀になるとジャン・カルヴァンの教えに従うプロテスタントがネーデルラント(今のベルギーやオランダ)に増えたらしい。ところが、そのネーデルラントの支配者にしてカトリックの盟主を任ずるハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世の息子)は異端審問を厳しく行い、プロテスタントを抑え込もうとした。 そんな締め付けに対して、ネーデルラントのプロテスタントは反乱を起こし、独立を目指して戦った。対するフェリペ2世はスペイン軍を派遣している。余談ながら、フェリペ2世の異母弟にあたるレパントの海戦の英雄ドン・フアン・デ・アウストリアも総督としてネーデルラントに派遣され、そこで亡くなっている。 数十年も続く戦いの末にイングランドの支援を得たオランダは独立を果たすんだけど、その間にも多くのプロテスタントが海外に移住して行った。その中にはイングランドのカンタベリー地方に移ってきたネーデルラントのプロテスタントの織物職人たちもいたわけだ。この建物はそんな織物職人の家なんだそうな。
カンタベリー物語館14世紀にチョーサーが著した「カンタベリー物語」を人形を使って再現してある。そのチョーサーも「カンタベリー物語」も世界史で勉強はした。が、その物語を読んだことのない私には勉強になったよ。でも、建物の中はちょいとカビ臭かったけどね。カンタベリーの城壁カンタベリーの街は直径 1マイル( 1.6km)ほどなんだけど、その周囲を城壁が囲んでいたらしい。
但し、今ではカンタベリーの城壁の半分ほどは取り壊されて、残りは半分ほどなんだそうな。上の画像はカンタベリーの駅前の歩道橋から眺めた城壁の様子だよ。
ついでながら、古代ローマ帝国の城塞都市だったチェスターにもシティ・ウォールや聖ワーバラゆかりの古い歴史のあるチェスター大聖堂などの様々な歴史スポットがあって興味深いよ。
カンタベリーの歴史せっかくのカンタベリーだから、ちょいとその歴史をまとめておこう。
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