東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

春のイングランド南部の旅(イギリス)

10. ドーバー城

ドーバー城遠望

イングランド王ヘンリー8世が築いた海辺のディール城を見て、イングランド南部の海岸線を南西に 7マイル( 11km)ほど走り、すぐにドーバー城に到着 ・・・ するはずだった。

道を間違えて見ることができたドーバー城遠望(イングランド、イギリス)

が、道を間違えてしまった。おかげで、上の画像にあるようなドーバー城の遠望を楽しむことが出来たんだけどね。ちょいと遠回りはすることになったけど。

ドーバー城到着、でも駐車場は満車

やがてドーバー城に到着。が、ドーバー城の駐車場は満車だった。イースターの連休だからね。こんなこともあろう。やむなく、近くの山道に車を停めようと ・・・ いやいや、こんな時はどちら様も考えることは同じなんだね。近くの山道も満車だったよ。

ドーバー城の堀と城壁(イングランド、イギリス)

仕方が無い。ドーバー城の下のドーバーの街まで下りて、街の駐車場に車を停めた。しかし、街から坂道を登り、ドーバー城まで戻ってきたときには、汗だくになっていたよ。でも、ともかくドーバー城に到着したぞ。上の画像はドーバー城の堀と城壁だね。

ドーバー城の城門近くにあるチケット売り場の窓口でチケットを買う ・・・ つもりだった。が、今日は無料なんだって。ドーバー城を管理しているイングリッシュ・ヘリテージの創立記念日だからなんだそうな。何はともあれ、有り難いよね。

ドーバー城に残る古代ローマ時代の名残

さて、いよいよドーバー城を見て歩こう。上にも書いたけど、今日はドーバー城は入場無料だった。でも、そのお礼のつもりでイングリッシュ・ヘリテージの売店でドーバー城のガイドブックを買ったんだ。そのガイドブックを見ながら城の中を歩く。

ドーバー城に残る古代ローマ帝国時代の城壁(イングランド、イギリス)

ちなみに、上の画像に写っている城壁は、古代ローマ帝国時代のものなんだそうな。ドーバー城の歴史は長いんだよね。

ドーバー城の歴史

というわけで、ドーバー城の歴史をまとめておこう。

ドーバー城の歴史のおまけなんだけど、西暦1670年にはここでドーバーの密約が結ばれている。イギリスの王政復古で即位したチャールズ2世とフランスのルイ14世との間で結ばれたんだ。

それから10年後のこと。西暦1688年の名誉革命において、オランダのオレンジ公ウィリアムがイギリス南西部のデヴォンに上陸し、エクセターまで進出した。その後、国王に対する暴動が起き、人々がこのドーバー城を占拠した。やがてイギリス国王ジェームズ2世はフランスに逃れることになったわけだ。

ドーバー城はヨーロッパ大陸に対する最前線

このドーバー城は、昔からフランスなどのヨーロッパ大陸に対する最前線だったんだね。ちなみに、ドーバーからフランスまでの距離は、34kmしかないらしい。

ドーバー城の中心部(イングランド、イギリス)

フランス革命の後、皇帝となったナポレオンはイギリス上陸作戦を考えていたらしい。そんなナポレオンによる侵攻に備えて、ドーバー城も強化されたんだそうな。しかし、ネルソン提督によるトラファルガーの海戦でナポレオンは艦隊を失った結果として、フランス軍によるイギリス上陸作戦は可能性が消えたんだけどね。


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