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ロンドンの風景(イギリス)

ビッグ・ベン、国会議事堂、ウェストミンスター宮殿
(ロンドン)

イギリス国会議事堂の時計塔の鐘 ビッグ・ベン

ロンドン名物のビッグ・ベン 国会議事堂の時計塔の鐘(イギリス) ウェストミンスター寺院を見た後は、すぐ近くにある国会議事堂の時計塔(右の画像)を見ないわけにはいかない。その時計塔にある巨大な鐘が、ロンドン名物のビッグ・ベンなんだ。

その巨大な鐘ビッグ・ベンが鋳造されたのは、1858年4月10日のこと。溶けた鉄を鋳型に入れて作ったんだけど、なんせ大きいから、熱く溶けた鉄が冷めるまで20日もかかったらしいよ。

それから国会議事堂では、その鐘の名前をどうするか、議論したんだ。論壇に立ったのは、ビッグ・ベンという渾名で呼ばれていた国会議員サー・ベンジャミン・ホール。彼は長い長い演説をした。そこへ仲間の議員から野次が飛んだ。「ビッグ・ベンと名づけてやれ !! 」

国会議事堂は大笑い!そして時計塔の鐘の名前は「ビッグ・ベン」と決まったんだそうな。そして、1859年5月31日、ビッグ・ベンの鐘の音が初めてロンドンに鳴り響いた。

それから13年後の1872年の夏、日本の岩倉使節団がロンドンを訪れた。彼らは国会議事堂をも見学したらしい。おそらくは彼らもビッグ・ベンの鐘の音を聞いたんだろうね。

エドワード懺悔王が建てたウェストミンスター宮殿

ところで国会議事堂のお話。元々ここにはエドワード懺悔王(ロンドンのウェストミンスター寺院を築いた最後のアングロ・サクソン系のイングランド王)のウェストミンスター宮殿があったんだそうな。

ロンドンのビッグ・ベンと国会議事堂(イギリス)

しかし、その宮殿は1834年に火事で焼け落ちてしまったんだ。そこで、新しく建てられたのが、現在の時計塔にビッグ・ベンを持つイギリス国会議事堂(上の画像)なんだそうな。

ウェストミンスター宮殿、イングランドの国会議事堂の歴史

古代ローマ帝国が建設したロンドンロンドン・ウォールテムズ川のほとりのロンドン塔に囲まれた今の金融街シティのあたりだったらしい。その西にある一帯が、ウェストミンスター寺院やこの国会議事堂などのある「ウェストミンスター(西の僧院)」という地区だね。

そして、このウェストミンスター地区にはアングロ・サクソン系の最後のイングランド王エドワード懺悔王がウェストミンスター宮殿を建設し、それが今のビッグ・ベンのある国会議事堂へとつながっていくわけだ。但し、上に書いたように火災で大部分が焼失したということもあるけれども、ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)の現存する最古の部分は、征服王ウィリアム1世の息子のウィリアム2世が建てた宮殿の一部なんだそうな。

その後も基本的にイングランド王はこのウェストミンスター宮殿に住んでいた。他方で、スコットランドに侵攻したイングランド王エドワード1世の時代、西暦1295年に開催された模範議会以後、イングランドの国会も原則としてここで開催されてきたらしい。

イギリスの首都ロンドンにあるウェストミンスター寺院 しかしながら、ロンドン郊外にあるハンプトン・コート宮殿に住んだイングランド王ヘンリー8世の頃から王たちは他の宮殿に住むようになったんだそうな。でも、イングランドの議会は引き続きここで開催され続けた。

但し、ウェストミンスター宮殿の中には国会の為の会議場が設けられていたわけじゃなかったんだそうな。故に下院の議会は時にウェストミンスター寺院(右の画像)に場所を借りて開催されていたこともあるらしいよ。

そんな議会の場所としてのウェストミンスター宮殿の最大の危機は、西暦1605年のガイ・フォークスたちによる火薬陰謀事件かな。議会の開会式に参加するイギリス国王ジェームズ1世の暗殺の為にウェストミンスター宮殿ごと火薬で吹っ飛ばそうという計画だったらしい。

その火薬陰謀事件は実行前に発覚して陰謀参加者たちは逮捕・処刑された。その犯人たちはカトリックだったんだけど、その犯人の一人としてイエズス会のイギリス管区長も処刑されたらしい。その人物の関与については真実かどうかわからないけどね。

そんなわけで国会議事堂として使われ続けていたウェストミンスター宮殿なんだけど、西暦1834年に火災で大部分が燃え落ちてしまった。

その後、西暦1840年から再建工事が始まり、西暦1860年に工事が終わったんだそうな。但し、第二次世界大戦中の西暦1941年にはドイツ空軍によるロンドン空爆で一部が破壊され、その修復工事が終わったのは西暦1950年のことだったらしい。

イギリスの議会の発展

イングランド王ヘンリー7世から始まるテューダー朝の頃には、特にヘンリー8世による修道院の解散による王領地の増大などもあり、議会が重視されたというわけでもなかったみたい。でも、その王領地も売却されて次第に減少し、スコットランドから来たスチュアート朝の時代には半減していたんだそうな。

その結果、お金が足りなくなったイギリス国王チャールズ1世の時代には議会を開かざるを得なくなり、その議会と対立したチャールズ1世は清教徒革命の末に処刑されたわけだね。

でも、10年ほどでチャールズ1世の息子のチャールズ2世がイギリス王位を回復したんだけど、そのイギリスの王政復古も議会の意向に従うものだった。議会無くして王政復古も無かったわけだ。

やがてチャールズ2世の弟のジェームズ2世がイギリス国王となるけれども、議会に対して王権神授説も以て臨み、やがて議会を閉会しちゃった。その挙句が名誉革命で国を追われたわけだよね。

既にこの時点でイギリスにおいては国王といえども議会を軽視しては統治できなくなっていたということかな。そんなイギリスに学んで、フランスのモンテスキューは「法の精神」を著したらしい。

その「法の精神」は、やがてアメリカの独立やフランス革命にも影響を与え、更には東洋の島国の日本の憲法にも影響を与えたわけだ。しかし、今の日本の国政や議会っていったい ・・・。

パリのオルセー美術館でロンドンの国会議事堂

ついでながら、このロンドンの国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)やビッグ・ベンの眺めを、フランスの首都パリにあるオルセー美術館などでも楽しむことが出来るんだ。

というのも西暦1883年にノルマンディー地方のジヴェルニーに移った画家クロード・モネ(そこに睡蓮の池を作って代表作「睡蓮」を描いた)なんだけど、その後もモネはイギリスに何度も来ていて、ロンドンの国会議事堂をテーマに代表作を残しているんだ。それがパリのオルセー美術館などで見ることができるというわけだ。

ビッグ・ベンの時計塔が斜塔に ・・・

西暦2012年1月のニュースによれば、このビッグ・ベンの時計塔が傾き始めていると ・・・。周囲の地下鉄や地下駐車場の工事が影響したのか、しなかったのかはわからないみたいだけど。そのうちにピサの斜塔のようになるんだろうか。

と心配したら、ピサの斜塔ほどに傾くには、1万年ほどかかるんだそうな。傾いたビッグ・ベンの時計塔を見ることができなくて、うれしいような、残念なような ・・・。

ビッグ・ベンが「エリザベス・タワー」に

イギリス女王エリザベス2世は西暦1952年に即位している。つまり、西暦2012年は即60周年というわけだ。それを記念してビッグ・ベンの名前を「エリザベス・タワー」に改めることになったらしい。世論調査の結果では過半数の賛成は得ていないみたいだけどね。

鐘の音が ・・・

西暦2017年8月の報道によれば、これから4年間はビッグ・ベンの鐘の音を聞くことができなくなるらしい。というのも、ビッグ・ベンのある時計塔の改修工事が行われるんだけど、その安全確保の為なんだそうな。例外的に大晦日には鐘がなるらしいけどね。西暦1859年から鳴り続けてきた鐘が再び鳴り始めるのは、工事が終わる西暦2021年の予定なんだそうな。


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