東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「エーゲ海の旅(ギリシャ)」

20. ロードス島のホテルにて

ロードス島の海辺にて

ロードス島の東岸にある古い街リンドスから暴走タクシーに乗り込み、血も凍るような思いをしてホテルに帰り着いたのが3時だった。が、ちょうど団体客が到着したばかりらしく、ホテルのフロントは大忙し。部屋の鍵を受け取るまで待たされそうだね。

ロードス島のホテルの前の海辺(ギリシャ)

というわけで、時間つぶしを兼ねてホテルの前の海辺(上の画像)を散歩。青空は広がっているし、海風は心地良いし、まさに海辺の散歩にうってつけの午後だよね。

ロードス島から眺めたトルコの山々

ホテルに戻ったのが4時前。団体客のチェック・インも終わり、落ち着きを取り戻していたフロントで部屋の鍵を受け取った。

ロードス島のホテルの部屋からの眺め、遠くにトルコの山々(ギリシャ)

部屋に戻り、テラスに出る。そのテラスからの眺めが上の画像。エーゲ海の海が広がる。その向こうに山々が見えている。あれはトルコの山々なんだそうな。このホテルはロードス島の北端にあるんだけど、ロードス島から北の小アジア(トルコ領)までは 20kmもないらしい。

そんなロードス島を西暦1308年に制圧した聖ヨハネ騎士団は、翌年にはローマ教皇から島の領有を正式に認められていた。他方でトルコにおいてはオスマン1世が独立の勢力を築きつつあった。やがてオスマン・トルコと呼ばれる大帝国の萌芽だね。

ロードス島の騎士たちは、海峡の向こうで宿敵オスマン・トルコが大帝国を築き上げるのを目の当たりにしていたわけだ。そして西暦1453年にコンスタンティノープルを攻略してビザンティン帝国を滅亡させたオスマン・トルコは、やがてロードス島に狙いを定めた。

西暦1480年のオスマン・トルコ軍によるロードス島侵攻は撃ち破ることが出来た。しかし、西暦1522年のオスマン・トルコ軍の侵攻によって、聖ヨハネ騎士団は島を明け渡す結果になってしまった。とはいえ、騎士団はマルタ島を本拠とし、西暦1565年のオスマン・トルコ軍の攻囲(グレート・シージ)を跳ね返しているんだけどね。

ロードス島の夕陽

ホテルのテラスで景色を眺めた後、ちょいとだけ昼寝。日本の夏とは違って空気は乾いているし、しかも心地良い海風が入ってくる。これで昼寝をするなという方がけしからんよね。

ロードス島のホテルの部屋から眺めた海と夕陽(ギリシャ)

目が覚めたのは7時前。まさに太陽がエーゲ海の向こうに沈もうとしていた。再びテラスで景色を眺める。このホテル、設備などはちょいと古くてお粗末なんだけど、テラスからの眺めは素晴らしいよね。

ロードス島のワイン

さて夕食の時間だ。今日はホテルの中にあるフレンチ・レストランでディナーとしよう。店に入ったのは7時半。まだ他に客はいない。私たちが今夜の一番乗りだった。

オーダーしたのはオマール海老のスープと子牛肉のグリルのパルマ・ハム添え。ワインはもちろんロードス島のもの。まずは白ワインのハーフ、続いて赤ワインのフル・ボトルだ。下の画像は白ワインのエチケットなんだけど、描かれているのはロードスの街の港にあった風車と城砦かな。

ロードス島のホテルのレストランで飲んだ白ワインのエチケット(ギリシャ)

ディナーの締めくくりはクレマ・ブリュレとアイス・クリーム、そしてコーヒー。部屋に戻ったのは10時。すぐにベッドに入る。明日はクレタ島に移動するから、ちょいと忙しいぞ。


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