東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ブダペストの春(ハンガリー)
1996 年 5 月


11. ブダペストの夜景

ハンガリーの料理とワインとジプシー音楽を楽しみ、ほろ酔い加減で店を出る。

その辺でタクシーもつかまるだろ ... と考えたのが甘かった。タクシーの「タ」の字も見当たらない。

その結果、ホテルまで深夜のブダペストを歩く羽目になってしまった。ま、おかげでブダペストの夜景を堪能することが出来たけどね。

夜の漁夫の砦

夜の漁夫の砦 まずはレストランのある王宮の丘にある漁夫の砦。

明るい昼間に見る漁夫の砦とは一味違うよね。

鎖橋

続いては、ドナウ川にかかる鎖橋のたもとにあるライオン。

鎖橋のライオン よおーっく見ると、ライオンの口には舌が無いでしょ。それで、ブダペストの人々は、ライオンを作ったマルシャルコー・ヤーノシュをからかったんだそうな。

それを気に病んだマルシャルコー氏、ドナウ川に身を投げて自殺してしまった。

上の話は本当かどうかは別にして、I 夫妻と 4人で記念撮影をすることとなった。人も車も通らない道の向こう側にカメラを置いて、タイマーをセット。あわててポジションに戻る。




カシャッ !! というわけで出来上がったのが、下の画像。I 夫妻と家内と私、背景は鎖橋。

夜の鎖橋


セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵と鎖橋
  • 1820年の冬、父親の死の知らせを受けたセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵は、葬儀の場所へ向かって急いでいた。しかし、悪天候のために増水していたドナウ川を渡ることが出来なかった。

    結局、一週間も足止めをくってしまった伯爵は、ブダとペストとの間に橋をかけることを決意した。

  • 1842年、父の死から22年の後、伯爵の念願がかなって、ドナウ川にかかる橋の工事が始まった。

  • 1848年、ハンガリー独立派とハプスブルク家との間で戦争が始まった。完成が近づきつつある橋に戦争の危険が迫る。橋が落ちる夢を何度も見た伯爵の精神は、次第に病んでいった。

  • 1849年、ブダとペストを結ぶ最初の橋である鎖橋が完成。しかし、既に精神を病んで病院に入っていたセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵は、橋を渡ることもなく死去。最初に橋を渡ったのは、ハンガリー独立の夢を打ち砕いたハプスブルク家の将軍だった。

  • 1873年、ブダとペストが合併し、ブダペストが誕生。

  • 1945年、退却するドイツ軍が、ブダとペストを結ぶ全ての橋を爆破した。元の姿の鎖橋が再建されたのは、戦後のことである。


【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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