東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ブダペストの春(ハンガリー)
1996 年 5 月
[ ハンガリー略年表 -9.]
ハンガリー人民共和国の成立 ( 1945 - 1951)
- 1945年11月、ソ連軍の占領下で実施された総選挙において小地主党が第一党となり、ティルディ政権が成立した。亡命先から帰国したラーコシ・マーチャーシュを書記長とする共産党の得票率は17%にすぎなかったが、ソ連軍の圧力により内相などのポストが与えられた。
- 1946年1月31日、ハンガリー共和国が成立。小地主党のティルディが大統領に就任し、小地主党のナジ・フェレンツが首相に就任した。
- 1947年2月、パリ講和条約。トリアノン条約に従った国境線が確認された。パリ条約においてはソ連軍の撤退が定められていたが、ソ連軍は駐留を続けた。
- 1947年6月、首相ナジ・フェレンツが亡命。それまでに内相直属の治安機関は、共産党の指示に従い、小地主党の指導者の多くを逮捕していた。
他方、既にハンガリー政府はマーシャル・プランの受け入れを希望していたが、駐留していたソ連軍の圧力によりマーシャル・プラン受け入れを断念した。
- 1947年8月、総選挙における共産党の支持率は 22%にとどまった。
- 1947年12月、共産党の圧力により、小地主党ディンニュエーシュ内閣が総辞職。同じく小地主党に属しつつも共産党に妥協的なドビが組閣。
- 1948年6月、共産党が社会民主党を吸収し、ハンガリー勤労者党と改称。
- 1949年1月、経済相互援助会議(コメコン)に参加。
他方で、枢機卿ミンドセンティ・ヨージェフが逮捕された。カトリック教会に対する締め付けが次第に強化されつつあった。
- 1949年2月、国名をハンガリー人民共和国と改めた。
- 1949年5月、勤労者党(元の共産党)によって作成された単一候補者名簿方式による選挙が行われた。
- 1949年8月、人民民主主義を謳った新憲法が採択された。複数政党制は否定された。
- 1949年9月、第二次世界大戦中にハンガリーで対独レジスタンスを指導していたライク・ラースロー外相に対して、死刑が宣告された。
- 1949年末までに、従業員10人以上を雇用する全ての企業が国有化された。
- 1950年4月、勤労者党幹部会議長サカシチが逮捕され、禁固15年の刑が宣告された。
- 1951年5月、大司教グレスが逮捕され、後に終身刑の宣告を受けた。
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