ドゥオモ(大聖堂)とジョットの鐘塔とサン・ジョヴァンニ洗礼堂フィレンツェのドゥオモ(大聖堂)とジョットの鐘塔を見たら、次はサン・ジョヴァンニ洗礼堂に決まっているよね。下の画像の中央に見えるクーポラがブルネレスキによって完成されたドゥオモ(大聖堂)。その右手がジョットの鐘塔。そしてドゥオモの左手に見えているのが、このページの主役のサン・ジョヴァンニ洗礼堂だね。
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上の画像でもわかると思うけれども、ドゥオモ広場に三つの建物が競うように並んでいるんだ。だから、その三つの建物の全て見せる画像を撮るって無理なんだね。というわけで、カメラを構えても不満が残ってしまうんだ。ヨーロッパの古い街の教会や聖堂ではよくあることだけどね。
歴史あるサン・ジョヴァンニ洗礼堂配置から言っても役割から考えても、サン・ジョヴァンニ洗礼堂は三つの建物のセットの一つと考えられるよね。でも、実は最も古い建物であり、且つ元々は洗礼堂ではなく礼拝堂だったんだそうな。元々のサン・ジョヴァンニ洗礼堂が建てられたのは12世紀のこと。その後、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計によるドゥオモ(大聖堂)の建設が始まり、この建物は洗礼堂に改められたらしい。但し、洗礼堂に改修される前ではあるけど、「神曲」で名高いダンテ(フィレンツェ生まれ)はここで洗礼を施されている。
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歴史あるサン・ジョヴァンニ洗礼堂なんだけど、その建物において最も観光客を集めているのが、上の画像にある扉かな。ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタで名高いミケランジェロはこの扉を見て「天国の扉」と表現したそうな。
ギベルティの天国の扉 ・・・ レプリカだけど西暦1401年のことなんだけど、このサン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉の制作者を決めるためのコンクール(主催はフィレンツェの羅紗生産者組合)が行われた。そこで優勝を争ったのが、ギベルティとブルネレスキだった。結果的に選ばれたギベルティがやがて制作したのが、洗礼堂の東扉「天国の扉」だった。
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この「天国の扉」(上の画像)には10枚のパネルがあるんだけど、各々のパネルが旧約聖書の物語のシーンを描いているんだそうな。但し、今のフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の東扉にはめ込まれているのはレプリカなんだ。実物はドゥオモ博物館で見ることが出来る。もちろん、私たちも後でドゥオモ博物館にも入るつもりなんだけどね。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂にある対立教皇ヨハネス23世の墓そんな「天国の扉」で名高いサン・ジョヴァンニ洗礼堂の中に入る。下の画像がその内部の様子なんだけど、画像の中の左手奥に明るくなっている部分が見えるよね。あれは教皇ヨハネス23世のお墓で、墓碑を作ったのはドナテッロとミケロッツィだったそうな。
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でも、・・・ 教皇ヨハネス23世って、・・・ 調べてみると、西暦1963年に亡くなっている。でも、その墓碑をドナテッロとミケロッツィが作ったって ・・・ 。
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