サン・マルコ美術館はかつて修道院フィレンツェのサン・ロレンツォ教会でメディチ家礼拝堂を見た。続いて向かったのはアカデミア美術館。でも、長蛇の列を見て諦めた。また明日にでも行ってみることにしよう。こうして臨機応変に気ままにスケジュールを変更できるのが個人の自由旅行の良さだよね。不便で面倒なことも多々あるけどね。気を取り直してやって来たのは、サン・マルコ美術館。その中庭の回廊が下の画像なんだ。でも、美術館というよりも ・・・ そう、この建物は元々は修道院だった。
![]()
サン・マルコ修道院は13世紀に遡る歴史を持つ古い修道院なんだそうな。西暦1435年にはドミニコ派の修道院となっている。でも、イタリアがフランス皇帝ナポレオンの支配下にあった西暦1808年にはドミニコ派から取り上げられている。更に西暦1866年に再びドミニコ派から取り上げられてイタリア王国に帰属し、今は国立のサン・マルコ美術館となっているわけだ。
サン・マルコ修道院とフラ・アンジェリコ今は美術館となっているサン・マルコ修道院において、とっても重要な人物が二人いる。まずはサヴォナローラだ。西暦1482年にドミニコ派の修道士としてサン・マルコ修道院にやって来た彼は、一時期はフィレンツェを離れたけれども、後にサン・マルコ修道院の修道院長として戻っている。やがてフランス王シャルル8世のイタリア侵入の際にメディチ家が追放され、その後のフィレンツェを統治したのがサン・マルコ修道院にいたサヴォナローラだった。その後、彼は市民の反発を受け、更にはローマ教皇アレクサンデル6世から破門され、ついにはシニョーリア広場で処刑されたんだけどね。
![]()
そしてもう一人の重要人物、サン・マルコ修道院を後に美術館とする要因を作り出した人物が、ルネサンス期の画家にして修道士だったフラ・アンジェリコだった。彼はこの修道院に多くの作品を残しているんだけど、その一つが上の画像にある「聖人たちのいる磔刑図」だね。
福者とされたフラ・アンジェリコフラ・アンジェリコはベアート・アンジェリコとも呼ばれた。「ベアート」とは「福者」、「アンジェリコ」とは「天使のような人」を意味するんだそうな。でも、実は彼が正式に「福者」とされたのは最近のこと。西暦1982年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって「福者」とされたんだそうな。そのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、フラ・アンジェリコの人格を讃え、彼の作品の神々しい美しさを賞賛している。特に彼が描いた聖母マリアを絶賛したんだそうな。(ついでながら、人格を讃えられるフラ・アンジェリコは、修道士でありながら修道女と駆け落ちしたフィリッポ・リッピとは大違いの人物ということなんだろうね。)
![]()
そんなフラ・アンジェリコが聖母マリアを描いた作品の一つが、サン・マルコ美術館に残る「受胎告知」(上の画像)だね。西暦1446年頃に完成されたと考えられている。使者として天上から派遣された天使ガブリエルが、マリアに懐胎を告げる場面だね。(新約聖書の中では、マタイによる福音書などが受胎告知について伝えている。)
サン・マルコ美術館のキリスト教芸術サン・マルコ美術館では、その他にもルネサンス期の芸術家たちのキリスト教芸術を見ることが出来る。例えば下の画像はギルランダイオによる「最後の晩餐」だ。「最後の晩餐」といえば、ダ・ヴィンチがミラノに残したものが名高いけど、多くの芸術家が採り上げたテーマだよね。
![]()
ルネサンス期イタリアの芸術の都フィレンツェを訪れるならば、ウフィツィ美術館・パラティナ美術館やドゥオモ(大聖堂)のみならず、他の多くの美術館・博物館・教会へ足を運びたくなるよね。とんでもなく忙しい旅になる。いずれにせよ、フィレンツェを堪能するには何度もやって来るしかないのかもしれないね。
ついでながら、サン・マルコ美術館は火曜日から金曜日は午後は休み、日曜日と月曜日は交互に休みになるらしい。旅行のスケジューリングがややこしくなるね。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|