|
|
|
|
|
東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旅行記「ローマとポンペイ(イタリア)」
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ローマ略年表-5. 「 17世紀から 19世紀 」
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
- 1656年、ベルニーニがサン・ピエトロ大聖堂の前のサン・ピエトロ広場の建設工事に着手した。
- 1732-1762年、トレヴィの泉が築かれた。
- 1760年、ローマのスペイン広場近くのコンドッティ通りで、カフェ・グレコがオープンした。
- 1798年、ナポレオン軍(ナポレオンは1796年からイタリアに進出)によって捕えられた教皇ピオ6世がヴァランスの街に幽閉され、翌年に亡くなった。
- 1809年、ローマ教皇領が皇帝ナポレオンのフランス帝国に併合された。ナポレオンを破門した教皇ピオ7世は囚われの身となった。
- 1834年、聖ヨハネ騎士団の本部がローマに移された。
- 1848年、革命運動の高まりの中で教皇ピオ9世がローマを脱出し、ローマ共和国が樹立された。しかし、翌年にはフランス軍がローマを占領して共和国は崩壊し、1850年には教皇がローマに帰還した。
- 1860年、ガリバルディの率いる赤シャツ隊がジェノヴァ近郊の港を出港し、同年5月11日にシチリアに上陸した。やがて彼らは両シチリア王国をブルボン家の支配から解放し、統一イタリア王国に献じた。
- 1861年、ガリバルディとカヴールの貢献により、サルディニア王国がイタリアを統一し、統一イタリア王国が誕生した。しかし、ローマ教皇領はあくまでも独立の地位を保とうとし、教皇はヴァティカンに閉じこもった(「ヴァティカンの捕囚」)。
- 1866年、ヴェネツィアがイタリア王国に併合された。イタリア統一の完成のために、残されたのはローマだけとなった。
- 1867年10月、既に老齢となっていた英雄ガリバルディが、義勇兵を率いてローマへの進軍を始めた。
他方、フランス皇帝ナポレオン3世が派遣したフランス帝国軍は、教皇のローマを守るために、ローマへ向かっていた。しかし、フランス帝国との衝突を恐れる統一イタリア王国は行動を起こさなかった。
同年11月3日、ローマ近郊で教皇庁軍・フランス帝国軍とガリバルディ義勇軍が衝突した。しかし、数においても装備においても劣勢にあるガリバルディ義勇軍は惨敗を喫した。
- 1870年9月20日、統一イタリア王国の部隊がローマを占領。ついにローマはイタリア王国に併合された。
- 1871年、統一イタリア王国の首都が、フィレンツェからローマに移された。
- 1873年、明治政府により派遣された岩倉具視使節団がイタリアに滞在した。
|
|
|
|
|
ヨーロッパの歴史風景
このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。
|
このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
Copyright (c) 2000-2015 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|