東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ローマ と ポンペイ (イタリア)
1997 年 3 月
ポンペイ略年表
- BC 6世紀、先住民オスク人の街ポンペイに、ギリシア人が移住してきた。
- BC 524-474年、エトルリア人がポンペイの街を支配した。
- BC 474-424年、ギリシア人がポンペイの街を支配した。
- BC 424年、山間部に住んでいたサムニウム人がポンペイを占領した。この頃からポンペイの名で呼ばれ始めた。
- BC 3世紀末、第二次ポエニ戦争の際、イタリア半島で戦いを続けるハンニバルに対し、ポンペイはローマとの同盟を守り続けた。
- BC 90年、同盟市戦争において、ポンペイは同盟諸都市の側にたって参戦した。
しかし、その翌年、ポンペイの街はローマの将軍スラに降伏した。
- BC 1世紀前半、ローマの将軍スラは、配下の退役軍人をポンペイに植民させた。以後、ポンペイのローマ化が進んだ。
当時のポンペイの正式名称は、コロニア・ウェネリア・コルネリア。コルネリアとは、スラの家名だった。
- AD 62年2月5日、ポンペイは大地震に襲われた。
- AD 79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の噴火により、人口2万人の街ポンペイが火山灰の下に埋もれた。
右の画像は、雪を頂いたヴェスヴィオ火山。
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- AD 1709年、ポンペイ近くのヘルクラネウムで、井戸を掘っていた男が大理石の柱を掘り出した。
- AD 1748年、ブルボン家の両シチリア王カルロス3世の命により、ポンペイの発掘が始められた。
- AD 1823年、ポンペイのコロッセオ(円形競技場)が発掘された。
右の画像は、ポンペイ遺跡に残るコロッセオ(円形競技場)。
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- AD 1952年、ユリア・フェリクスの家が発掘された。
庭園を取り囲む壁には、古代ローマ時代の「ヴィーナスの誕生」の絵が残されていた。
右の画像は、発掘されたユリア・フェリクスの家で発見された「ヴィーナスの誕生」。
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