東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア)
1999 年 6 月


11. ダンテの墓とドゥオモ(ラヴェンナ)

サンタ・ポッリナーレ・ヌオーヴォ教会を出た私たちは、降り止まない冷たい雨に打たれながら、ラヴェンナ市内の細い道を歩く。身体が冷えれば、トイレにも行きたくなる。しかし、日曜日ということもあって、営業しているカフェも見当たらない。

ようやく見つけ出した明るいカフェに入り、熱いカフェ・コン・レチェ(早い話がカフェ・オ・レ)を注文。すぐさま「トイレは何処 ??」と尋ねる私たちに、「ここにはトイレは無い」との冷たい答え ... 。じっと我慢の観光を再開する私たち。

ダンテの墓

やがて遠くに見えてきた白い墓。ここに「神曲」を書いたダンテが葬られているのだそうな。

ダンテの墓 住み慣れたフィレンツェを追放されたダンテは、1317年にラヴェンナに辿り着き、当時の支配者であるグイド・ノヴェッロ・ダ・ポレンタによって保護された。

しかし、彼は1321年9月13日にラヴェンナで死去。但し、右の画像に見える白い墓が築かれたのは、18世紀のことだった。

(なんかさ、奥さんの顔がひきつってないか ... ?? )

そのダンテは、ラヴェンナに残るモザイクを「色彩のシンフォニー」と表現した。

時は流れて1519年のこと、当時の法王レオ10世はフィレンツェのメディチ家の出身だった。彼はラヴェンナに対し、ダンテの遺骨をフィレンツェに返還するようにと命じた。しかし、ラヴェンナの人々はダンテの遺骨を隠して拒否したと伝えられている。

しかし、ラヴェンナにあるダンテの墓の灯明代は、ずっとフィレンツェの人々が払い続けてきたという話もある。

ドゥオーモ

ダンテの墓から約 300メートルのところに、ラヴェンナのドゥオーモがある。

ドゥオモ 一般にイタリアでドゥオーモといえば観光名所なんだけど、このラヴェンナのドゥオーモ(右の画像)に関する限りは観光客は寄り付きもしない。

でも、ドゥオーモにはトイレはあるからね。それで救われる人々もいるわけだ。

そして、ドゥオーモの隣にある大司教館付属博物館。こちらのほうは大事なラヴェンナの観光名所になっている。(次のページへ)

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