エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア) 1999 年 6 月
パーリオこのページにアクセスしている貴方は、たぶんイタリアに興味を持っている ?? ということは、塩野七生さんの作品にも興味がある ??彼女の作品の中に法王アレクサンドル6世の庶子を主人公とした「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」という小説があるよね。その作品の冒頭のシーンが、このシエナのカンポ広場を舞台としているんだ。 1492年夏、「中心に向かってゆるやかな勾配をなしているこの扇形の広場」(塩野さんの表現)でパーリオ(競馬)の練習をしていたのは、若き日のチェーザレ・ボルジアだった。 そこへ知らせがもたらされた。彼の父である枢機卿が、法王に選出されたというわけだ。そこから、チェーザレ・ボルジアの波瀾の物語が始まるわけだ。 そのカンポ広場を私たちが訪れた時、まさしくパーリオの準備が行われていたんだ。 広場の周囲には、たくさんの観客席が準備されていた。残念ながら私たちはパーリオを見ることは出来ないけれども、その準備風景を見て思い出したのが、チェーザレ・ボルジアの物語だった。
フォンテ・ガイア(喜びの噴水)シエナのカンポ広場の一角にあるのは、西暦1419年に完成したフォンテ・ガイア(喜びの噴水)。但し、現在カンポ広場にあるのはコピーなんだけどね。資料によれば、フォンテ・ガイアのオリジナルは、広場に面して立つプブリコ宮殿の中の市立博物館の中にあるらしい。 カンポ広場さて、そのカンポ広場。カンポという言葉の意味は「広場」ということだから、広場という名前の広場ということになっちゃうんだけどね。名前はともかく、塩野七生さんの表現「中心に向かってゆるやかな勾配をなしているこの扇形の広場」の通りの広場だった。(下の画像)ちなみに、上の画像の中央やや左の上部に見えている塔は、シエナのドゥオモのもの。他方、画像の左下の隅から中央に向かって伸びている影は、広場に面して立つ、マンジャの塔のもの。どちらも、後のページで紹介するから、興味のある方は先へ進んでくださいね。
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