シエナ歴史地区を見渡すマンジャの塔シエナの中心カンポ広場の脇にそびえるのは、下の画像にあるマンジャの塔。高さ 88メートルのこの塔に登れば、世界遺産となっているシエナ歴史地区を見渡すことが出来るわけだ。
ところが、資料によれば塔の上までは長い長い階段が続いていると ・・・ 。当時の運動不足の極みの私にそんな難行苦行を耐える力は無い。と考えてマンジャの塔に登るのは諦めた。それを今でも後悔しているんだ。是非ともマンジャの塔の上からシエナの歴史地区を見渡しておけば良かった。
シエナの市庁舎でもあるプブリコ宮殿シエナの歴史地区を見渡すマンジャの塔の足許、カンポ広場の脇にあるのがプブリコ宮殿(下の画像)なんだ。
このシエナの市庁舎でもあるプブリコ宮殿の完成は西暦1305年のこと。建設が始まったのが西暦1284年というから、20年余りの工事の末に完成したというわけだね。
プブリコ宮殿の中庭に狼とロムルスとレムスの像プブリコ宮殿の中庭で見かけたのが、下の画像にある狼に育てられるロムルスとレムスの双子の像だった。古代ローマの建国者とされる双子のうちのレムスの息子セニウスがシエナを築いたと伝えられているからね。
でも、シエナの始まりは古代エトルリア人の街だったと学者は言っている。古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの時代にここに古代ローマ人があらためて植民したらしいけどね。
シエナとトスカナの風景プブリコ宮殿の中にある市立博物館を見て歩く。展示されているのは、シエナ派の絵画などなど。でも、私が最も気に入ったのは、博物館の裏手(カンポ広場の反対側)のテラスから眺めた風景(下の画像)だった。シエナの周囲に広がるトスカナの田園風景だね。
フィレンツェやシエナがトスカナ地方の覇権をめぐって争っていた時代、このトスカナのあちこちを多くの貴族や傭兵や兵士たちが走り回っていたんだろうね。例えばフィレンツェの傭兵隊長として有名なイギリス出身のジョン・ホークウッドとか。メディチ家弟脈出身のフィレンツェ大公コシモ1世の父親で、やはり傭兵隊長として著名な黒備えのジョヴァンニとかね。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|