エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア) 1999 年 6 月
旅も七日目ともなると疲れも少々たまっている。ホテルの部屋に落ち着くや否や、眠くなってしまった。ちょっとお昼寝しない ?? しかし、何故か元気を取り戻している家内は、情け無用の観光の鬼と化している。引きずられるようにホテルを出たのが 4時だった。 ウフィツィ美術館どうせ入れやしないだろう ... と思いつつ、それでもウフィツィ美術館に行ってみる。驚いたことに、待ち時間無しで入ることが出来た。3年前にウフィツィ美術館に入るときには、長蛇の列に加わって並んだんだけどねえ。しかし、まさか再びウフィツィ美術館に入るとは考えていなかったものだから、ガイドブックを自宅に置いてきてしまったんだ。かといって、この広い美術館をガイドブック無しで歩くことも出来ないしね。しかたない。また一冊買いますか。 それにしても、このウフィツィ美術館の館員達は、横柄で高飛車で愛想が無いねえ。イタリアの殆んどの人々は愛想が良いのに、例外の極めつけはウフィツィ美術館の館員たちで間違いないね。 ボッティチェッリ - 「春」と「ヴィーナスの誕生」既に夕方となっており、時間に余裕も無いことから、家内は見たい作品のある場所へスタコラと急ぐ。その第一がボッティチェッリ。家内は「春」(右の画像は部分)の前に立ち、記念写真を撮れとの指示を出す。 余談ながら、ウフィツィ美術館ではフラッシュを使わなければ、カメラの使用は自由。ASA800程度の高感度フィルムを持っておけば便利だね。 ちなみに、この「春」は1477-1478年頃の作品。 続いては「ヴィーナスの誕生」(右の画像は部分)。1485年の作品とされている。 この絵を見て思い出すのは、ポンペイにある古代ローマ遺跡。そのお邸の跡に、古代の「ヴィーナスの誕生」が残されているんだ。 余談ながら、ボッティチェッリに「ヴィーナスの誕生」や「春」の制作を発注した人物の名はロレンツォ・ピエール・フランチェスコ・デ・メディチ。後にトスカナ大公となったコシモ1世の父である黒備えのジョヴァンニ(その肖像画が次のページにある)の叔父にあたる。
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