東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

東ゴート族 -1. 移動と自立

  • BC 1世紀、スウェーデン南部に住んでいたゴート族が、悪化した気候の為に移動を開始した。やがてバルト海を渡り、現在のポーランド領グダニスク近辺に最初の橋頭堡を確保したと考えられている。

  • AD 1世紀半ば頃、ゴート族は再び移動を開始し、やがてキエフ付近に定着した。

  • AD 332年、ローマ帝国の新しい首都コンスタンティノープル(今はトルコ領のイスタンブール)を建設したローマ帝国皇帝コンスタンティヌスは、ドニエプル川の西に住むゴート族と協定を結んでいた。

  • AD 360年頃、エルマナリックを王としたゴート族は、ドニエプル川周辺を中心とする南部ロシアに大きな王国を築いた。この頃、ドニエプル川を境として、その東側に住む東ゴート族、西側に住む西ゴート族と分かれていたとの説もある。

  • AD 375年頃、東から進出してきたフン族がゴート族を圧迫し始めた。エルマナリック王によって支配されていた東ゴート族は、フン族の侵攻によって崩壊した。東ゴート族の生き残りは、フン族の軍の中に組み込まれた。

  • AD 378年、フン族の圧迫を逃れて南下した西ゴート族は、アドリアノポリス(現在のトルコのエディルネ)に於いて皇帝ヴァレンス指揮下のローマ軍を撃ち破った。

  • AD 434年、アッティラがフン族の王となった。但し、当初は兄ブレダとの共同統治だった。しかし、後にアッティラは兄ブレダを殺害し、単独の王となった。

  • AD 451年、西ゴート族・ブルグント族・フランク族と連合した将軍アエティウス指揮下の西ローマ帝国軍と、東ゴート族などを従えたフン族軍が、フランスのシャロン・シュル・マルヌに於いて激突し(カタラウヌムの戦い)、敗れたフン族は撤退した。

  • AD 452年、フン族がイタリアに侵入。しかし、ローマに軍を進めることなく撤退した。教皇レオ1世の説得によるともされているが、実際にはローマの守りを固めた将軍アエティウスの軍との衝突を避けたとの理解も有力である。

    ちなみに、西ローマ帝国を支えていたアエティウスは、皇帝ウァレンティニアヌス3世(皇帝ホノリウスの甥にして皇女ガラ・プラキディアの息子)に殺害されている。

  • AD 453年、アッティラ死去。フン族は崩壊し、東ゴート族などフン族に従っていた諸族は自立した。ゲピート族と連合してフン族の残存勢力を撃ち破った東ゴート族は現在のハンガリーの西部を獲得した

東ゴート族 -2. テオドリック大王



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