東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

東ゴート族 -2. テオドリック大王

  • AD 455年(あるいは453年)、テオドリック(あるいはテオドリクス)が誕生。その父は当時の東ゴート族を支配していた三兄弟の末弟ティウディメルだった。やがてテオドリックは人質として東ローマ帝国の都コンスタンティノポリスに送られ、その地でローマ帝国の文化を吸収していった。

  • AD 469年、東ゴート族はドナウ川北岸に住むゲルマン諸族と戦い、勝利を得た。しかし、その戦いで東ゴート族の支配者の長兄であるワラメルが死去。コンスタンティノポリスから送り返されたテオドリックは、叔父ワラメルの領土を継承した。

  • AD 474年、東ゴート族の支配者となっていたティウディメル王が死去。テオドリックが東ゴート族の王となった。しかし、東ローマ帝国は、その前年に別の人物を東ゴート族の王と認めていた。その結果、この時点で東ゴート族の勢力は二分されてしまった。

  • AD 475年、ラヴェンナに於いて幼少のロムルスが西ローマ帝国の皇帝に即位した。(西暦402年からラヴェンナは西ローマ帝国の首都になっていた。)

  • AD 476年、東ローマ帝国内での権力闘争に勝ち残って帝位を得たゼノン帝が、東ゴート族のテオドリックに接近し、東ローマ帝国の軍事長官の称号を与えている。

    この年、西ローマ帝国ではゲルマン系の傭兵隊長オドアケルが権力を奪取し、西ローマ帝国が滅亡した。

  • AD 471 - 481年、テオドリック王支配下の東ゴート族と東ローマ帝国との戦いが続いた。当時のテオドリックは、アドリア海沿岸を拠点としていた。

  • AD 481年、テオドリックと対抗していたもう一人の東ゴートの王が死去。テオドリックは東ゴート族唯一の王となった。

  • AD 483年、東ローマ帝国のゼノン帝と東ゴート族の王テオドリックが和解した。

  • AD 484年、東ゴート族の王テオドリックに東ローマ帝国の執政官の地位が与えられた。

  • AD 486年、テオドリックと東ローマ皇帝ゼノンとの関係が再び悪化。テオドリックの率いる東ゴート族軍は、バルカン半島のトラキア地方(現在のブルガリア付近)に侵入して略奪を行った。

  • AD 487年、テオドリック王指揮下の東ゴート族軍がコンスタンティノープルを攻撃。しかし、東ローマ皇帝ゼノンとの講和が成立し、テオドリックは都を攻略することなく、軍を退いた。

  • AD 488年、東ローマ皇帝ゼノンの意向を受けたテオドリックが、東ゴート族軍を率いてイタリアに向かった。

  • AD 489年、アドリア海の最も奥にあるイゾンツォにおいて、オドアケル軍とテオドリック軍とが衝突。勝利を得たテオドリック軍は、ついにイタリアに侵入した。

    その一ヵ月後、両軍はヴェローナで再び戦ったが、またもやテオドリックが勝利を得た。敗れたオドアケルは、ラヴェンナにたてこもった。

    しかし、オドアケルの配下の将軍トゥファの策略により、形成は逆転。ティキウム(現在のパヴィア)において、テオドリック率いる東ゴート族軍はオドアケル軍によって包囲された。

  • AD 490年、西ゴート族の王アラリック2世の支援を得て、東ゴート族の王テオドリックが再び攻勢に出た。敗れたオドアケルは再び古都ラヴェンナにたてこもった。

  • AD 491年、イタリアの混乱を見て取った北アフリカのヴァンダル族が、軍をシチリアに上陸させた。しかし、東ゴート族軍がヴァンダル族軍を駆逐した。

  • AD 493年、東ゴート族の王テオドリックが、ついに古都ラヴェンナに入城を果たした。オドアケルは、その10日後に殺害された。以後、テオドリックは「イタリアの王」を称した。

  • AD 497年、東ローマ帝国の皇帝アナスタシウスは、テオドリックをイタリアの支配者と認めた。

  • AD 501年、テオドリックは「フラウィウス・テオデリクス・レクス」と称した。

  • AD 508年、東ゴート族軍が南ガリアに於いてフランク族軍を破り、プロヴァンス(南フランス)を領有した。

  • AD 518年、東ローマ帝国の皇帝となったユスティヌス1世はアリウス派を迫害し始めた。ローマ教会が東ローマ帝国の動きに同調したために、イタリアに於いても宗教問題 及び カトリックを信じるローマ人とアリウス派を侵攻するゴート人との関係が悪化し始めた。

  • AD 523年、テオドリックの娘婿となっていた西ゴート族出身のエウタリックが急死した。息子のいないテオドリックは、有力な後継者を失ったことになる。

    同年、同盟国となっていたヴァンダルの王トラサムンドが死去。後継者ヒルデリックは東ゴートとの同盟を断ち、東ローマ帝国と結んだ。

  • AD 526年、ラヴェンナに於いて軟禁されていたローマ教皇ヨハネス1世が亡くなった。

    同年8月30日、東ゴート族の大王テオドリックが死去。ラヴェンナ郊外には今もテオドリック王の霊廟や棺が残っている。

    東ゴート王国の王位を継いだのは、まだ幼少の孫アタラリックだった。但し、その母にしてテオドリックの娘アマラスウィンタが摂政を務めることとなった。

東ゴート族 -3. 滅亡



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