東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

18. 古都ラヴェンナに残るテオドリック廟

古都ラヴェンナ郊外にあるテオドリック廟に到着

アリアーニ洗礼堂からラヴェンナ駅までは 500mほど。雨は続いているけど小降りになっている。駅までは歩いて戻った。が、これでイタリアの古都ラヴェンナの観光を終わるわけじゃない。まだまだ見たい行きたい場所があるからね。

まずは駅のトイレで用を済ませる。次に駅前で客待ちをしているタクシーの運転手さんと交渉だ。歩いて行くには遠すぎるラヴェンナ郊外の見所へ行きたい。料金は日本円にして 4,000円ほどで交渉が成立した。丸刈りにジーンズの運転手のタクシーに乗り込み、やがて到着したのが松林の前だった。そのはずれにある売店で入場券を買い、松林の奥に向かって歩く。やがて白い石造の霊廟(下の画像)が見えてきた。

イタリアの古都ラヴェンナの郊外に残る東ゴート族の王テオドリックの廟

これがかつて西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルから古都ラヴェンナを奪い、イタリアを支配した東ゴート族の王テオドリックの廟なんだそうな。ラヴェンナの世界遺産の一つでもある。

亡くなる前に自分の廟を築いた東ゴート族の王テオドリック

東ゴート族のテオドリック王がラヴェンナ郊外に廟を作ったのは西暦520年のことだった。

イタリアの古都ラヴェンナの郊外に残る東ゴート族の王テオドリックの廟

上の画像がテオドリック廟の正面の様子なんだけど、建物の上に載っている屋根は一枚岩で出来ているらしい。その直径は 10m、重さは数百トンに及ぶんだそうな。自分の廟を築いてから6年後、西暦526年にテオドリック王は亡くなっている。

東ゴート族の王国の滅亡とユスティニアヌス1世(大帝)

亡くなったテオドリック王は男子を残さなかった。その王位を継承したのは王の娘アマラスンタの息子(つまりはテオドリック王の孫)アタラリックだった。とはいえ、アタラリック王は幼く、母親のアマラスンタが摂政として国政を担ったらしい。

西暦534年、アタラリック王が亡くなった。母親のアマラスンタが女王として即位した。ところが、その年の内に反乱が起き、女王アマラスンタは幽閉され、翌年には殺害されている。

その女王アマラスンタは東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(大帝)が承認するイタリアの支配者だった。その女王の殺害に対して、ユスティニアヌス1世(大帝)は軍を送り込んだ。西暦536年には東ローマ帝国軍はナポリを占領、更にローマをも攻略し、西暦540年にはラヴェンナをも奪っている。

その間、そしてその後も東ゴート族は抵抗を続け、ナポリやローマなどの都市の争奪が繰り返された。けれども西暦553年には東ゴート王国はついに滅亡している。

テオドリック廟の中の割れた石棺

東ローマ帝国の支配下に落ちた古都ラヴェンナにおいて、かつての東ゴート族の王テオドリックの廟はキリスト教の礼拝堂とされ、王の遺骸も持ち去られてしまった。

イタリアの古都ラヴェンナの郊外に残る東ゴート族の王テオドリックの廟の中で見た割れた石棺

そんなテオドリック廟の2階で見たのが、上の画像にある割れた石棺だった。斑石で出来た石棺なんだそうな。


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