東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

19. サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会 -1.

古都ラヴェンナの郊外にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会

テオドリック廟の入場券売り場の前で待たせておいたタクシーに乗り込み、やって来たのは古都ラヴェンナ市街から 5kmほどのところにあるクラッセという土地だった。

イタリアの古都ラヴェンナの郊外にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会

そこでのお目当てが、上の画像にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会だった。この教会もラヴェンナにある世界遺産の一つなんだ。

サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会と聖アポリナリス

このサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会(クラッセ地区にある聖アポリナーレ教会)の建立が始まったのは6世紀の前半のこと。テオドリック王の娘にあたるアマラスンタ女王の命によって建立が始まったんだそうな。

ところが、前のページでも書いたように、アマラスンタ女王は殺害され、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(大帝)の軍が古都ラヴェンナを奪い、東ゴート王国は滅亡した。その結果、西暦549年にこのサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会が完成した時には、ラヴェンナは東ローマ帝国の支配下にあったそうな。

ところで、この教会の名となっているサンタポリナーレ(つまり、聖アポリナリス)なんだけど、古都ラヴェンナの初代司教とされている。古代ローマ帝国の皇帝ネロの迫害(皇帝ウェスパシアヌスあるいはセプティミウス・セウェルスの迫害との説もある)において殉教し、ここに葬られた。この教会はその墓地の隣に建立されたと伝えられている。

ついでながら、サンタポリナーレ(聖アポリナリス)に捧げられた教会は、フランク王国の王クローヴィス1世によってディジョンにも建立されていたし、イタリアの街道の街ボローニャ(ヨーロッパ最初の大学で名高い街)にもあったんだそうな。

古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスとクラッセ

そんな歴史あるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会の中にすぐにでも入りたいところなんだけど、ちょいと待った。

イタリアの古都ラヴェンナの郊外にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会と古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス像

この教会の脇には、上の画像に見える像が立っている。これが古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの像なんだ。何故に彼の像がここに立っているのか。

浅瀬や沼地に囲まれていた昔の古都ラヴェンナとクラッセの港

今でこそ内陸に位置している古都ラヴェンナなんだけど、そもそもは浅瀬や沼地に囲まれたいくつもの島だったらしい。つまりは生まれた頃のヴェネツィアと似ていたわけだね。

そんなラヴェンナの街は防衛に適した場所だった。シーザー(カエサル)がルビコン川を渡る前に自軍を集結させたのも、そんなラヴェンナだったらしい。加えて海に近いということで、皇帝アウグストゥスは古代ローマ帝国海軍の軍港をこのクラッセに整備したわけだ。(彼はイタリア西岸においてはピサの軍港を整備している。)

西ローマ帝国の皇帝ホノリウスは帝国の都をこのラヴェンナに移したんだけど、防衛に適した街だったことがその理由の一つになっている。加えてアドリア海に面した港があることで、東ローマ帝国と連携しやすいこともあったらしい。更には、西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルはこの古都ラヴェンナに籠城したんだけど、東ゴート族の王テオドリックの包囲に3年間も耐えたんだそうな。

ところが、その海に近いことがデメリットのなったのが9世紀のこと。イスラム教徒の海賊たちからの脅威が身近に感じられたわけだ。サンタポリナーレ(聖アポリナリス)の遺骸をイスラムの海賊たちから守る為に、より内陸にあるサンタポリナーレ・ヌオヴォ教会(つまり、新しい聖アポリナリス教会)に移されたのが西暦856年だったそうな。


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