東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

17. 古都ラヴェンナのアリアーニ洗礼堂

古都ラヴェンナに残るアリアーニ洗礼堂

滅亡した西ローマ帝国古都ラヴェンナに本拠を置いた東ゴート族の王テオドリックは、サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会を建立したんだけど、ほぼ同時期(5世紀末から6世紀初)に建てたのが下の画像にあるアリアーニ洗礼堂だった。

イタリアの古都ラヴェンナにある東ゴート族のテオドリック大王ゆかりのアリアーニ洗礼堂

このアリアーニ洗礼堂と呼ばれる八角形の建物なんだけど、「アリアーニ」は「アリウス派の」という意味なんだそうな。つまりは、テオドリック王をはじめとする東ゴート族の人々が信仰していたアリウス派の洗礼堂として建立されたのがこの建物だったわけだ。

アリアーニ洗礼堂にはキリストの洗礼を描いたモザイク画

そんなアリアーニ洗礼堂の天井には、キリストの洗礼を描いたモザイク画(下の画像)がある。

イタリアの古都ラヴェンナにある東ゴート族のテオドリック大王ゆかりのアリアーニ洗礼堂のモザイク画

上の画像の中央に立つのは若きイエス・キリストだよね。右側には洗礼を授ける聖ヨハネ(洗礼者ヨハネ)。左側の老人はこの洗礼が行われたヨルダン川を象徴しているらしい。老人が右手に持つ瓶から水が流れ出て、それがヨルダン川になっている。画像が小さくて見えないかな。

キリスト教における洗礼

ついでながら、キリスト教における「洗礼」についてまとめてみた。参考になると良いんだけどね。

洗礼

  • 「洗礼 baptism」の語源は、ギリシア語で「水に浸す」を意味する「バプティスマ baptisma」。

  • 洗礼を受けることにより、人はキリスト教徒の共同体に加わる。

  • イエス・キリストが教えを広めていた頃のユダヤでは、一部の人々によって浄化儀礼としての洗礼が行われていた。

  • 古代においては、専ら水に浸かって行われる浸水礼が行われていた。しかし、3世紀以降の西欧では、頭に水をかけるだけの注水礼が広まっていった。東方正教会や再洗礼派では、今でも浸水礼が行われている。

実は私はキリスト教の教会が運営していた幼稚園に通っていた。といっても、洗礼を受けたわけじゃないよ。実家の宗教は禅宗だし。

アリアーニ洗礼堂とスピリト・サント教会

ところで、このアリアーニ洗礼堂なんだけど、スピリト・サント教会の敷地の中にある。そのスピリト・サント教会も東ゴート族の王テオドリックがアリウス派の侵攻の為に建立した教会だったそうな。でも、16世紀半ばに再建された結果、スピリト・サント教会については6世紀の建物の遺構は殆ど残っていないらしいよ。

テオドリック王が亡くなり、古都ラヴェンナが東ローマ帝国のユスティニアヌス1世(大帝)が派遣した軍によって攻略された後も、アリアーニ洗礼堂とスピリト・サント教会は残っていた。でも、西暦565年にはアリウス派を信仰することが禁止され、アリアーニ洗礼堂もスピリト・サント教会も正統派のキリスト教に従って聖別し直されたらしい。

それから1400年近くが経過した20世紀半ばの第二次世界大戦において、ナポリに上陸した連合国軍はやがてローマを攻略したんだけど、その連合国軍は古都ラヴェンナにも空爆を行ったらしい。その空爆はアリアーニ洗礼堂を取り巻いていた建物を吹き飛ばしてしまったそうな。でも、幸いにアリアーニ洗礼堂だけは無事に残った。そのおかげで現代の私たちはアリアーニ洗礼堂の姿を見ることが出来るわけだ。

ちなみに、連合国軍は第二次世界大戦においてミラノにも空爆を行っている。その空爆によってスフォルツェスコ城などの多くの建物が破壊されたらしい。でも、ダヴィンチの「最後の晩餐」は奇跡的に破壊を免れている。


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