東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア)
1999 年 6 月
トスカナにおける戦いの歴史
(フィレンツェによるトスカナの統一)
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- 1125年、フィレンツェがフィエーゾレを征服した。
- 1129年、シエナとフィレンツェとの間に最初の戦いが起こった。
他方、フィレンツェはピサに接近し、海への出口を確保した。この同盟により、ピサは背後の憂いを除くことが出来、脅威となっていたミラノに備えることができた。
- 1212年、フィレンツェと対立するシエナが、モンテリッジョーニの街を要塞化した。
- 1230年、フィレンツェ軍がシエナを占領。
- 1260年、シエナの西 5kmのところにあるモンタペルティに於いて、シエナ軍がフィレンツェ軍を撃ち破った。
しかし、ギベリン(皇帝派)として戦ったシエナを法王が破門し、法王庁の金融業務はフィレンツェの銀行に委ねられることとなった。
- 13世紀後半、フィレンツェがヴィンチ村(ダヴィンチの故郷)を征服した。
- 1289年、カンパルディーノの戦いにおいてフィレンツェ軍がアレッツォ軍を撃ち破った。
- 1353年、サン・ジミニャーノがフィレンツェに屈伏。
右の画像は、サン・ジミニャーノのホテルのテラスから見たトスカナの田園風景。
詳しくはココをクリック。
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- 1361年、ヴォルテッラ軍がフィレンツェ軍に敗れ、ヴォルテッラの街はフィレンツェの支配に服することとなった。
- 1384年、アレッツォの傭兵部隊がフィレンツェによって買収され、アレッツォの街はフィレンツェの支配下に落ちた。
余談ながら、ヴァザーリはこのアレッツォの出身である。
- 1404年、フィレンツェがかつての同盟相手であるピサに戦いを挑んだ。その 2年後、ピサはフィレンツェの軍門に下った。
- 1411年、フィレンツェがコルトーナを征服した。
- 1421年、フィレンツェがリヴォルノをジェノヴァから購入し、トスカナ北部はフィレンツェの勢力圏となった。
- 1429年、フィレンツェとルッカが戦った。
- 1437年、ミラノ公がトスカナに侵入したが、フィレンツェ軍が阻止した。
- 1438年、再びトスカナに侵入してきたミラノ軍をフィレンツェが撃ち破った。
- 1555年、コシモ1世支配下のフィレンツェがシエナを征服した。
しかし、抵抗を続けるシエナの人々はモンタルチーノにたてこもり、更に戦いを続けた。
- 1559年、シエナの残党が拠点としていたモンタルチーノをフィレンツェ軍が攻略し、フィレンツェとシエナとの戦いに終止符が打たれた。
余談ながら、このモンタルチーノは、イタリアを代表する赤ワインであるブルネッロ・ディ・モンタルチーノの産地でもある。
- 1569年、メディチ家のコシモ1世にトスカナ大公位が与えられた。
下の画像は、チェッリーニの作によるトスカナ大公コシモ1世。
コシモ1世について詳しくはココをクリック。
また、右の彫像を展示しているバルジェッロ博物館(フィレンツェ)についてはココをクリック。
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- 1815年、ナポレオンが脱出した後、エルバ島がトスカナ大公国に与えられた。
- 1847年、ルッカがトスカナ大公国に従属した。
- 1861年、トスカナ大公国が統一イタリア王国に併合された。
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