東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第一部 ソレント・アマルフィ編

A26. アマルフィ大聖堂前の広場(ドゥオモ広場)

海の門からアマルフィ大聖堂前の広場へ

港の突堤の先端からアマルフィの風景を楽しんだら、アマルフィ大聖堂の鐘塔を目印に歩いてきた。かつて城壁の一部をなしていた城門「ポルタ・デラ・マリーナ 海の門」(下の画像)をくぐれば、その向こうがアマルフィ大聖堂の前の広場(ドゥオモ広場)だ。

アマルフィ大聖堂前のドゥオモ広場の近くにあるポルタ・デラ・マリーナ 海の門(イタリア)

海の門の向こうには、広場が見えている。思わず走り出したくなるよね。でも、慌てちゃいけない。海の門の下は車が走っているんだ。上の画像にもわずかに見えているけど、海の門の中に横断歩道がある。左右を良く見て渡らないとね。

ドゥオモ広場からアマルフィ大聖堂の鐘塔を見上げた

海の門を通り、すぐにアマルフィ大聖堂の前の広場(ドゥオモ広場)に出た。その様子が下の画像なんだ。

アマルフィ大聖堂前のドゥオモ広場にそびえる鐘塔(イタリア)

すぐ目の前にそびえているのが、アマルフィ大聖堂の鐘塔。大聖堂のファサードはその右手にある。ここからは見えないけどね。

広場にある聖アンデレの噴水

アマルフィ大聖堂の前の広場(ドゥオモ広場)には、聖アンデレの噴水がある。その様子が下の画像なんだ。

アマルフィ大聖堂前のドゥオモ広場にある聖アンデレの噴水(イタリア)

西暦1544年のことなんだけど、イスラムの海賊バルバロッサがアマルフィを襲った。その襲撃に対して街を守ったのが聖アンデレとされている。その結果、聖アンデレはアマルフィの守護聖人となったわけだ。

ついでながら、西暦1558年にはバルバロッサの後継者ともされる海賊ドラグート(トゥルグト・レイス)がアマルフィを襲っている。でも、その際には聖アンデレが街を救ったという資料が見当たらないんだけど ・・・ 。

ところで、聖アンデレを英語風に言えばセント・アンドリューになる。どこかで聞いたことがあるね。そう、スコットランドにある有名なゴルフ場の名前だ。というよりも、スコットランドの守護聖人だね。そして、スコットランドの旗 スコットランドの旗 は、セント・アンドリュー旗なんだ。

聖アンデレは斜めの十字架で処刑された。上の画像にある噴水の聖アンデレ像も、スコットランドの旗も斜めの十字架を表現している。ついでながらローマのサン・ピエトロ大聖堂の中にも聖アンデレ像があるけど、その像も斜めの十字架をあしらっているね。

広場のカフェでちょいと休憩

ようやくたどり着いたアマルフィ大聖堂。すぐにでも中に入りたいよね。でも、ちょいと疲れた。ひと休みしようよ。

アマルフィ大聖堂前のドゥオモ広場にあるカフェ(イタリア)

というわけで、ドゥオモ広場にあるカフェ(上の画像)の椅子に腰を下ろし、ちょいと飲み物。アマルフィ大聖堂の鐘塔を見上げてのんびりだ。


次のページは
「A27. いよいよアマルフィ大聖堂へ」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2002-2013 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。