港の突堤の先から眺めたアマルフィの街中世イタリアの四大海洋国家の旗や羅針盤の完成者とされたフラヴィオ・ジョイアの像のあるアマルフィの港には、沖に突き出した突堤がある。その先端まで歩いて振り返れば、アマルフィの街の全体を眺めることが出来る。それが下の画像なんだ。
上の画像の左下には突堤がわずかに見えているんだけど、その先端がアマルフィの風景を楽しむ特等席というわけだね。もちろん、船に乗って海の上から眺める景色も素晴らしいんだけどね。(海からのアマルフィの眺めは後のページで登場するよ。)
アマルフィの街に迫る岩山アマルフィの街の中央から視線を南に向ければ、見えるのは下の画像の風景なんだ。岩山が街に迫っているよね。街の北側にも同様に岩山がそびえているんだ。ここには画像は無いけれども。
アマルフィの街に迫る岩山。中世アマルフィの人々は岩山に押し出されるようにして海に乗り出していった。その結果、アマルフィは中世イタリアの海洋国家の先駆となったわけだね。
アマルフィを守る砦もう一度、上の画像を見てもらえるかな。画像の右上、岩山の上に砦が小さく見えているよね。その砦の様子が下の画像なんだ。
海は中世アマルフィに豊かさをもたらしたけれども、他方でイスラムの海賊たちも海を渡って襲ってきた。さっきトマトたっぷりのスパゲティを食べたレストランのあるアマルフィの塔もその一つなんだけど、イスラムの海賊の来襲を見張るための砦が街の周辺のあちこちに残っている。
アマルフィ大聖堂の鐘塔ところが、このアマルフィの街にはイスラム風の文化も花開いていた。その代表が、下の画像に見えるアマルフィ大聖堂の鐘塔かな。(鐘塔の右には大聖堂のファサードの一部も見えている。)
この鐘塔の下部はロマネスク風なんだけど、タイルに彩られた上部はイスラム風なんだそうな。地中海各地に進出したアマルフィの商人や船乗りたちがアラブの文化を持ち帰ったということもあるし、11世紀にアマルフィを支配下に入れたノルマン人がシシリアなどでなじんだイスラムの文化を好んだということもあるみたいだね。
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