東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第一部 ソレント・アマルフィ編

A25. 海と岩山の間の街アマルフィを眺めた

港の突堤の先から眺めたアマルフィの街

中世イタリアの四大海洋国家の旗や羅針盤の完成者とされたフラヴィオ・ジョイアの像のあるアマルフィの港には、沖に突き出した突堤がある。その先端まで歩いて振り返れば、アマルフィの街の全体を眺めることが出来る。それが下の画像なんだ。

海と岩山の間の街アマルフィを突堤の左記から眺めた風景(イタリア)

上の画像の左下には突堤がわずかに見えているんだけど、その先端がアマルフィの風景を楽しむ特等席というわけだね。もちろん、船に乗って海の上から眺める景色も素晴らしいんだけどね。(海からのアマルフィの眺めは後のページで登場するよ。)

アマルフィの街に迫る岩山

アマルフィの街の中央から視線を南に向ければ、見えるのは下の画像の風景なんだ。岩山が街に迫っているよね。街の北側にも同様に岩山がそびえているんだ。ここには画像は無いけれども。

海と岩山の間の街アマルフィと岩山を突堤の左記から眺めた風景(イタリア)

アマルフィの街に迫る岩山。中世アマルフィの人々は岩山に押し出されるようにして海に乗り出していった。その結果、アマルフィは中世イタリアの海洋国家の先駆となったわけだね。

アマルフィを守る砦

もう一度、上の画像を見てもらえるかな。画像の右上、岩山の上に砦が小さく見えているよね。その砦の様子が下の画像なんだ。

海と岩山の間の街アマルフィに迫る岩山の上の砦(イタリア)

海は中世アマルフィに豊かさをもたらしたけれども、他方でイスラムの海賊たちも海を渡って襲ってきた。さっきトマトたっぷりのスパゲティを食べたレストランのあるアマルフィの塔もその一つなんだけど、イスラムの海賊の来襲を見張るための砦が街の周辺のあちこちに残っている。

もちろん、アマルフィの人々がひたすら守りに徹していたわけじゃないよ。時には他のキリスト教徒勢力と連合して、イスラム教徒と戦ったこともある。例えば9世紀半ばのオスティアの戦いにも参加したらしい。

アマルフィ大聖堂の鐘塔

ところが、このアマルフィの街にはイスラム風の文化も花開いていた。その代表が、下の画像に見えるアマルフィ大聖堂の鐘塔かな。(鐘塔の右には大聖堂のファサードの一部も見えている。)

海と岩山の間の街アマルフィの大聖堂のファサードと鐘塔(イタリア)

この鐘塔の下部はロマネスク風なんだけど、タイルに彩られた上部はイスラム風なんだそうな。地中海各地に進出したアマルフィの商人や船乗りたちがアラブの文化を持ち帰ったということもあるし、11世紀にアマルフィを支配下に入れたノルマン人がシシリアなどでなじんだイスラムの文化を好んだということもあるみたいだね。

ところで、このアマルフィ大聖堂なんだけど、多くの観光客を集める著名な観光名所なんだそうな。鐘塔を目印に大聖堂に向かうことにしよう。


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「A26. アマルフィ大聖堂前の広場(ドゥオモ広場)」



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